35歳からの中二病エンジニア

社寺・鉄道・アニメを愛でるウェブ技術者の呟き

今更Instagramを始めた

完全に今更感があるけれども、Instagramを始めた。

https://www.instagram.com/aikawame/

なんで?

僕はSNSでまともに使っているのはTwitterくらいで、Facebookは昔それなりにやっていたけれども意識の高い投稿が多くて疲れたので距離を置いている。Instagramについては10年近く前の黎明期にアカウントだけ作ったことはあったけれども、当時はまだ投稿も少なかったし情報収集のツールとして微妙だったのですぐに使うのをやめた。

今頃になって再び始めたのは、推しの声優さんとかが最近はInstagramを使っていることが多いというのもあるけれども、引っ越してきたのが大きな切っ掛けなのは間違いない。元々鎌倉は大好きな街なので自然と写真を撮ることが増えたし、それをネットに上げないのは勿体ない。そうした時に、Twitterはコンテンツがごちゃつくし、ブログだとカジュアルに上げにくいという問題があって、これはInstagramしか無いだろうと思ったわけだ。

使ってみた感触

とりあえずアカウントを作って過去の写真を上げてみたら、半日もしない内にいいねが50件くらい来てびっくりした。

まぁ、僕が上げる写真といったら京都や鎌倉の神社仏閣とか、鉄道写真とか食べ物の写真が中心なので、タグがキャッチーなのはあると思う。Twitterは好きなことを呟きたいからごった煮のままにしておくつもりだけれども、Instagramは鎌倉・神社仏閣・鉄道・グルメあたりに絞ってやっていこうかと思う。とはいえ承認欲求低めなのでぶっちゃけいいねは程々で良いのだけれども。暫くやってみて面白ければ続けるし、別にいいやとなればFacebookみたいに雑な運用になるだろう。

新宿から鎌倉市腰越に引っ越した

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小動神社から望む腰越漁港と江ノ島

コロナ禍にあって余り大っぴらにするのは憚られたけれども、少しずつ落ち着いてきた感があるので忘れない内に書き綴っておきたい。ちなみに、初耳だ!聞いてないぞ!という方は安心してほしい。引っ越したことは一部の親族と勤務先の人にしか話していなくて、これがほぼ初周知となる。

概要

滋賀から東京都内に出てきて、10年ほど新宿に住みつつ近辺に通勤していたが、鎌倉市腰越の築浅アパートを借りて引っ越した。部屋は1LDKから2LDKに増えた一方、家賃は2/3の10万円になって生活に余裕が生まれた。今は完全な在宅勤務をしながら、余暇は鎌倉の町並みを散策したり海沿いを自転車で走ったりしている。住む場所は人によって相性があるだろうが、多少の利便性と引き換えに住み良い環境を求めるのもこれからの時代にはあり得る選択ではないかと思う。

引っ越した背景

主に人口10〜20万人程度の地方都市を転々とした後、10年ほど前から新宿で妻と同居していた。

15.5万円で1LDKのマンションを東新宿駅近くに借りていたが、数年前に貸主が転売によって変わって以来、契約更新の度に賃料の値上げを迫られて突っぱねるのに辟易していた。また近年では住民間トラブルも出てきて、近隣住民の勘違いで警察沙汰に巻き込まれたこともあった。そんなこんなで、2019年の夏頃からは「次の契約更新までに」くらいの緩い目処で引越を意識するようになり、東京都内の郊外地域をぼちぼちと散策していた。

転機がやって来たのは今年2020年に入ってからのことだ。年初からエアコンが故障して修繕を放置され、その後やって来たコロナ禍、更に勤め先の会社が恒久的なリモートワーク化に舵を切るという大きな意思決定があって、最適解をパズルのように試行錯誤していくことになった。

当然ながら、コロナ禍が落ち着くまで現状維持という選択肢が最初に立った。ただ、入居から10年の更新を迎えるに際して再び賃料の値上げで面倒な遣り取りが発生するのは確実で、その上電気給湯器やIHコンロ等の電気系統もいつガタが来てもおかしくないし、また放置されたら堪らない。更に、部屋の間取りが1LDKだと仕事専用のスペースが確保できなくて、既に家族のストレスが高まっているという事情もあった。付け加えるならば歌舞伎町に隣接する地域柄、繁華街を行き来する人達との接触が避けにくい点も気になっていた。

一つ一つの事情は必要火急とまでは行かずとも、足し合わせると数え役満という所だろうか。そんなわけで、これらの事情を勘案しつつ「もし本気で住みたいと思える賃貸物件があれば」という縛り付きでネット上での部屋探しを継続することにした。

部屋探しの条件

前述の理由で貸主との面倒事に悩まされたので、大手管理会社のサブリース物件を中心に検討することにした。持ち家については僕が飽き性ということもあり眼中に無く、以下の条件を満たす範囲で安くて綺麗な物件を探そうということになった。

  • 部屋の間取りは2LDK以上
  • 東京都心まで片道1時間程度まで
  • 最寄り駅から徒歩15分以内
  • IHコンロ完備

東京都心まで片道1時間というのは、ずっと在宅勤務が約束されるのであれば緩和しても良かったかもしれない。ただ僕の場合はITベンチャー勤務でいつ何が起こるかわからない(実際、恒久的なリモートワーク化という大転換があったわけで)ので、いざとなれば都心との行き来がある程度しやすい場所に絞った。

あと最後のIHコンロについては、家族の安全を考えてのこと。今までにも何度かヒヤリとする出来事があったので、料理をするのであればガスコンロでなくIHコンロ必須ということにした。後付けの製品もあるけれども、2口以上で出力が大きいものとなるとやはりビルトインになるので、完備された物件に絞った。

ただこの条件が曲者で、物件検索でチェックボックスをオンにした瞬間、検索結果が9割減!やはりまだまだガスコンロ強し。ということで、路線や地域から掘り下げていくのではなく、IHコンロ完備の物件を片っ端からチェックしていくという何ともマイナーな部屋探し方法となった。

鎌倉市腰越という地域

前述の条件で色々と物件を探していると、見つかるのはやはり所沢とか中央林間とか、鉄道会社がドカンと誘致した郊外都市が強い。そんな中でひょこっと家族が見つけてきた物件を見て、目を疑ってしまった。

「江ノ島駅徒歩n分・鎌倉市腰越」

GJすぎる。僕は何を隠そう社寺&鉄クラスターの端くれであり、鎌倉は観光等で既に7回訪れているくらい好きな場所だ。ただ、僕の中では鎌倉というと鶴岡八幡宮でお馴染みの若宮大路から大仏でお馴染みの長谷あたりまでの印象が強く、観光には強いが住む街としては今ひとつピンと来なかった。しかし、Wikipediaの記事 を見てみると鎌倉の複数の側面が見えてくる。

三方が低い山で囲まれ海に面する地であり、かつては鎌倉幕府が置かれ政権の要の地となり、日本史の時代区分でもある「鎌倉時代」の由来にもなった。今日では旧腰越町や旧大船町など、いわゆる「三方を山に囲まれた鎌倉」の外側に位置する地域も市内に含まれる。(中略)明治初期、現鎌倉市域を含む鎌倉郡を管轄する郡役所は戸塚(現横浜市戸塚区)に置かれた。明治中期以降、保養・別荘地として、昭和以降に観光地として改めて「都市・鎌倉」の発展を見たのである。ゆえに中世以来の建造物はほとんど存在せず、文化遺産として価値の高い中世都市の遺構の多い地域といえる。

つまり、所謂「武家の古都」としての鎌倉以外にも、腰越や大船のような後から合併した地域や、保養・別荘地として発展した地域が入り混じっているのが今の鎌倉市ということだ。

その中で腰越という地域を見てみると、鎌倉市唯一の漁港である腰越漁港を有しており、街は概ね海に面している。一方、街の中心部には江ノ電の併用軌道区間(所謂路面電車)が現存していて、この電車通りが商店街を兼ねている。Googleストリートビューで見てもわかる通り、街全体が昭和感に溢れていて、隣の七里ヶ浜や江ノ島界隈のようなパリピの巣窟とは一線を画している。

………めっちゃ僕好みやん。

2LDKで10万円は妥当か

さて、そんな鎌倉市腰越の家賃相場はどうかというと、鎌倉市内の江ノ電沿線の相場では概ね最安だ。

江ノ電沿線は見た限り、生活の利便性よりも観光地・別荘地としてのプレミアム感で家賃も動いているらしく、鎌倉駅近くは当然のこと、七里ヶ浜や稲村ヶ崎等の人気観光スポットは家賃も高く、東京都心寄りの郊外よりも高いということが普通にある。一方の腰越は穴場扱いなのか、1Kであれば5万円台で借りられるくらいの妥当と思われる相場感になっている。

2LDKで10万円という家賃については、条件を選ばなければもっと下げられることは事実だし、東京都内でも十分に探せる。ただIHコンロのある物件は選択肢が狭い分相場も若干高めで、見つけた所は管理会社も大手のしかも築浅物件だ。そこまで加味すれば妥当だし、何より今までの2/3にまで圧縮できるというのが大きい。旧居はネット回線付きだったのでその分を考慮しても、毎月5万円浮くわけだ。

場所良し、間取り良し、家賃良し、ということで引越決行となった次第である。

住んでみての所感:住まい

ここから実際に住んでみての所感を3段階評価と共に列挙していきたい。ざっくり◎は旧居より良い、◯は同等か十分満足、△は悪いという感じで。

◎ 家賃は下がり部屋は増えた

家賃は15.5万円から10万円へと一気に下がり、逆に間取りは1LDKから2LDKに増えたので、増えた1部屋を仕事部屋にできた。また鉄筋コンクリートから軽量鉄骨になったので、部屋の角や天井の出っ張り等も無く間取りが自然なのも良い。

◎ 景色や空気が良い

何と言っても部屋から海が見える。そして空が広い。これは精神衛生上非常に良い。旧居では隣もビルで大通りに面していたので窓の外なんて見る気にならなかったけれども、新居では気分転換に外を眺めてリフレッシュできるようになった。

あと、旧居とは比較にならないくらいに空気が美味しい。新宿の空気は排気ガスやら飲食店の換気口からの臭いやら地下鉄の換気口からの臭いやら、色んなものが混ざった淀んだ感じだったけれども、そういう混じりっ気が一切無い。その代わりに磯の香りがデフォルトなので、苦手な人には辛いかもしれない。

◎ 水道水がそのまま飲める

これは職場だと問題無かったので住居設備にもよるかもしれないけれども、旧居では水道水は沸かしてお茶やコーヒーにしても臭くて飲めたものではなかった。新居では水道水をガブ飲みしても平気なので、浄水ポットが要らなくなった。

◯ 虫が少ない

意外すぎて拍子抜けしたのがコレ。都会を離れるとそれに反比例するかのように虫が増えるものと覚悟していたけれども、今までに住んだ所と比べると全然大したことない。勿論新宿よりは多いけれども、夜に窓を開けていてもシーリングライトのカバー内が虫の死骸で埋め尽くされたりしないし、部屋に入り込んでくるとしても蜘蛛が大半なので全然気にならない。

どうやら海の近くというのは真水が少ないので、蚊をはじめ虫が育ちにくいらしい。滋賀に住んでいた頃は琵琶湖が淡水のおかげで塩害は無かったけれども、虫がビックリするほど多かったのを思い出す。虫と塩害、どっちがマシか。究極の選択である…。

△ 塩害と風と湿気が凄い

というわけで塩害は想定内ではあったが、玄関先に置いた宅配ボックスの南京錠が2週間で錆だらけになった時は衝撃を受けた。自転車にはカバーを掛けてあるので今の所は平気だけれども、屋外である以上劣化は早まると思われる。

そして塩害よりも盲点だったのが強風だった。置いてある自転車が総倒れになるくらいの強風が週に一度は吹くので、頭髪のことをとても心配している。あと、湿気については梅雨入り前の晴天時でも風向きによっては70%を超えることが頻繁にある。洗濯物は磯の香りが付くこともあって室内干しがデフォルトになった。

△ ごみの分別が細かい

燃やすごみと燃えないごみが有料なのはまぁ仕方ないとして、プラスチックでも容器包装プラと製品プラに分かれていたり、紙でもミックスペーパーとボール紙・クラフト紙とダンボールに分かれていたり、引っ越してきた当初はごみ分別の説明冊子とにらめっこする毎日だった。また、旧居では粗大ごみ以外は各階のごみ保管庫をいつでも利用できたので、燃えないごみや製品プラの回収が月に一度という事実には目眩がした。まぁこういうのは慣れなので、今ではそこそこ要領良く処理できるようになったけれども。

△ 珍走団が喧しい

これは地方都市あるあるだけれども、週末の夜になると珍走団が湧いてくる。ただ、これについては生まれ育った街でも同様だったのでそんなに気にならない。むしろ旧居のように昼夜を問わず消防署からサイレンが鳴り響くよりは、週末の夜寝る前に限定される分だけマシかもしれない。勿論、あくまで快適さについての話であって、緊急車両のサイレン音は必要なものだが珍走行為は取り締まられるべきなのは言うまでもない。

住んでみての所感:周辺環境

観光都市鎌倉の面目躍如となる部分。逆に言うと、このあたりに魅力を感じなければ利便性に優れた郊外都市や都会に住んだ方が幸せになれるだろう。

◎ 海岸や漁港が近い

近所の人達が水着で家から泳ぎに行く程度には砂浜が近い。シャワーや更衣室が混雑していても関係無いのは嬉しい。あと、シーズンオフであっても漁港があるので、桟橋からぼけーっと海を眺めるのも悪くない。

◎ 江ノ電の併用軌道区間が近い

併用軌道というだけでも気分が上がるというのに、江ノ電は車両の形式が多いので毎度何が来るか楽しみになる。特に最古参の300形と腰越商店街の組み合わせは絵になる。

ただし、道幅がそんなに広くないので慣れない車や自転車がよく電車の走行の妨げになってしまい、警笛がしょっちゅう聞こえてくる。商店街を歩く時も気を付ける必要があるし、鉄道に興味の無い人にとってはデメリットかもしれない。

◎ 名所旧跡が近い

鎌倉は小さな都市なので、名所旧跡のほぼ全てに自転車でサクッと行ける。鎌倉市街までだと市を東西に横断することになるけれども、それでも自転車で20分程度だ。その間海沿いを行けば七里ヶ浜や稲村ヶ崎、由比ヶ浜等のビーチスポットを快走できるし、少し中に入れば極楽寺や長谷のような社寺と緑溢れる閑静な地域をまったり走れる。

あと、住所は鎌倉だけれども腰越は市境なので、江ノ島にも徒歩で行ける。こっちはオンシーズンだと普段から人が多いので日や時間を選ぶけれども、仕事上がりに弁天橋から夕日を見るという贅沢が日常になるというのは良いものだ。

△ 高低差が激しい

鎌倉は三方を山に囲まれ一方は海という天然の要害。これは鎌倉幕府の成立のあたりで習う有名な話だけれども、要するに市内は山だらけということだ。実際、少し内陸寄りの道を走ろうとしただけで大抵は心臓破りの坂にぶち当たる。車やバスでの移動は慢性的な渋滞が厳しすぎるので、現実的な移動手段は原チャリか電動アシスト付自転車だろう。

住んでみての所感:利便性

鎌倉市がというか、腰越が意外なほどに便利な地域だった。車の必要性を全く感じない。鎌倉市内でありながら、湘南最大の街である藤沢駅にもそこそこ近いのが強かった。

◎ スーパーと薬局が近い

これは鎌倉だと住む地域によって全く様相が異なる。昼間は観光客で賑わう地域でも、普段使いの買い物ができる店が皆無という場所も多いので、物件を選ぶ時には慎重を期する必要があるだろう。幸いなことに、新居からはスーパーが徒歩3分以内、薬局も徒歩5分以内なので、日常生活の食料品や消耗品の買い物には全く困らない。コンビニも徒歩10分以内で大手3社が揃っているし、郵便局も美味しいパン屋も5分以内で行ける範囲にある。

旧居は隣がコンビニだったので便利ではあったけれども、スーパーと薬局が今よりも遠かったので、むしろ日常の買い物だけならより便利になってしまった…。

◯ 3線利用可

これまた鎌倉の中でも腰越や江ノ島界隈に限った話だけれども、江ノ電・小田急・湘南モノレールの3線を利用できてしまう。地方都市でこの鉄道の充実ぶりは凄い。おまけにどの路線も日中ダイヤで毎時5本以上列車があるので、「列車の時刻を考慮した行動」という地方都市あるあるな制約が全く無いのが嬉しい。

ただし、同じ鎌倉でも鎌倉市街と江ノ島近辺以外は江ノ電しか選択肢が無くなるので注意されたい。

◯ 片瀬江ノ島駅・藤沢駅から始発で座れる

土休日であれば片瀬江ノ島駅から、平日は江ノ電で藤沢駅まで出れば新宿行きの始発に座れる。座れても混雑が嫌だというのであれば、ロマンスカーに乗るという手もある。幸い小田急は長距離運賃が安いので、片瀬江ノ島から新宿まで運賃は640円、特急券は630円で行ける。これならいざ通勤が必要になったとしても、ロマンスカー通勤しても家賃が浮いた分と相殺してまだ8割くらい残る。

△ 百均の店が近くに無い

これは地味に痛い所。ホームセンターや無印やニトリが遠くても百均があれば大体何とかなると思っていたら、藤沢駅前まで出ないと無かった…。逆に駅前にはダイソーだけで3店舗、キャンドゥやセリアもあるし、3COINSだってある。そのダイソー、1店舗だけで良いから分けてくれ…。

ちなみにこれはかなり贅沢な不満で、藤沢駅前には自転車で15分も走れば着いてしまう。その程度は地方都市では十分に近いと言えるはずなので、いかに自分が新宿に毒されていたかがよくわかる。

△ 他地域のソウルフードが少ない

僕は引越が多かったので各地のソウルフードを食べてきたのだけれども、そういう店が全くと言っていいほど無い。例えば東京であれば、味噌煮込みうどんとかチャンピオンカレーとか近江ちゃんぽんとか、そういうご当地ソウルフードを近場で楽しむことができたのだけれども、こっちには辛うじて天下一品が大船にあるくらい。そもそも天下一品ってもはや全国区だし…。そういうのが恋しくなったら、東京都内に出るついでに食べるしかない。

おわりに

住む場所を選ぶのは就職活動と似た所があると思っていて、それはどちらも「誰にとっても最高」というのは無く、相性で良し悪しが決まるということだ。

僕は20代から30代半ばにかけては仕事第一でハードワークどんと来いな感じだったので、旧居は通勤時間の短さと生活の利便性に振り切っていて、当時としては良い選択だったと思っている。ただ、これから40代にかけては若い頃のような無茶な働き方をしていたら心身を壊す(というか実際に壊した)ので、生活の豊かさに軸足を移していきたいと常々考えていた。新居はまさにその思いを実現してくれる場所だと思っている。

同じ人間でも年を重ねることで価値観が変わるわけで、他人ならば尚更のことだ。人によっては田舎よりも都会の方が合うかもしれないし、古くからの街よりもニュータウンの方が合うかもしれない。僕は今回海沿いの観光都市である鎌倉市の腰越を選んだけれども、これはかなり振り切った選択だという自覚はあるので、人には中々薦められない。

とはいえ、コロナ禍を機に生活や仕事の環境が大きく変わった人々も今は多かろうと思うので、大都市よりも人混みの少ない地域へ引っ越そうとか、アウトドアの娯楽が多い地域へ引っ越そうとか、多少の利便性と引き換えに住み良い環境を求めるのも良いのではないかと思っている。

蛇足

腰越という地名について、歴史に造詣のある方であれば源義経の腰越状(頼朝から鎌倉入りを許されなかったアレ)を思い浮かべるかもしれないが、まさにこの地のことであり、由来とされる書物や逸話が町内の満福寺に伝わっている。

あと、冒頭の腰越漁港の写真、これは今期アニメとして放送されているかくしごとのOPサビで映し出される漁港そのままだったりする。こうしたネタが近所に散りばめられているのはとても楽しい。いつかは飽きる時が来るとしても、当面は満喫できそうだ。

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江ノ島弁天橋から眺める夕日

令和最初のお伊勢参りと紀伊半島一周

夏といえば青春18きっぷ。18きっぷといえば長距離乗車の旅。というわけで、まだ令和になって神宮参拝していなかったこともあり、参拝ついでに紀伊半島を鉄道で一周する一人旅に出た。

今回の行程

今回の行程は8月29日(木)から9月1日(日)の3泊4日で移動距離は1471km。地図の通り、名古屋を中心に8の字を描くコースだ。この内一部区間のみ三セク経由でズルをしたけれども(後述)、ほぼJRの普通列車に乗車し、青春18きっぷを最大限に活用している。

リベンジ!中央西線

中央東線は2ヶ月前にも通ったので軽く流していく。問題は中央西線で、前回はまさかのトンネル火災で代行バスになったので、今回は何としてでも木曽山中を鉄路で駆け抜けたかった。

今回は平常通りの運行!中央東線の211系ロングシートでくたびれたお尻にとっては、中央西線の313系1300番台はありがたい。平日で空いていたこともあり、木曽川の見える進行方向右側に座って雄大な自然を満喫できた。ただ、寝覚の床が塩尻側からだと後ろを向かないと見えないことを完全に失念していて、チラッとしか見えなかったのは少し残念。

「何も無い」がある明知鉄道

恵那からは少し寄り道して明知鉄道に初乗車。来年から大河で騒々しくなりそうなので、今のうちに乗っておこうという算段だ。明知鉄道は車両こそ三セクお馴染みのNDCだけれども、路線の方は急勾配や急カーブ、そして美しい田園風景が有名だ。しかも鉄路以外に人工物が無い所が多く、こんな風景があちこちで見られる。

なお、終点の明智は文字通り明智光秀ゆかりの地…という体で激推ししているけれども、当時の明知城主は信長の野望クラスターにはお馴染みの遠山氏。肝心な明智氏はその頃可児へ移っているので、光秀自身は足を踏み入れたかどうかも怪しいという残念感。それでも折角なので「光秀プリン」なるものを、これまた町おこし感満載な施設である大正村浪漫亭の喫茶スペースで頂戴した。

でかいよ。屏風だよ。食べ方の極意とか書いてあるけど意識高いラーメン屋かよ。
なお、お味の方は豆乳仕立てでとてもあっさり。美味しゅうございました。

駅弁なのにガチの味噌カツ

明智に寄り道したので、名古屋からは18きっぱー的には禁じ手である快速みえに乗って伊勢へ向かう。なぜ禁じ手かというと、快速みえは途中の河原田-津間が三セクの伊勢鉄道経由で運行されているからだ。途中の鈴鹿は我が故郷でもあり、なぜこんな路線を特定地方交通線に…という恨み節は置いておいて、ここを迂回して亀山を経由すると翌日に響くので、510円を払ってチートした。

さて、夕食は折角なので名古屋駅で駅弁を購入。四日市を過ぎるまでは通勤客が多いし、鈴鹿前後で必ず伊勢鉄道の車内改札が行われるので、それが終わってからの御開帳だ。

これ、駅弁なのでそんなまともな味噌カツは期待していなかったけれども、やたらと味噌が美味い。よく見たら包装に思いっきり「カクキュー八丁味噌使用」と書いてあって、納得するしかなかった。カクキューといえば我が家でも味噌汁に愛用している八丁味噌の大定番だ。まさか駅弁であの味を堪能できるとは。

ちなみに、昨今は列車内での飲食について色々言われるようになってきているので断っておくと、快速みえは普通列車ではあるものの、全列車に指定席があって、座席は転換クロスシート、小さいながらもテーブルも付いている。おまけにカーテンは特急のようなプリーツ式という伊勢志摩観光仕様の豪華列車である。

…2両編成だけどね!!(4両の時も一応ある)

令和最初の神宮参拝は恵みの雨

伊勢に泊まって2日目は6時に起床しての神宮参拝だ。 しかし、外に出てみると大粒の雨。折り畳み傘では厳しいので宿近くのファミマで70cmの傘を購入。

外宮に着く頃にはしとしと降りくらいに収まっていたものの、空は暗く霞掛かっていた。…が、これはこれで雰囲気があって非常に良かった。今まで神宮参拝で雨に降られたことは一度も無かったので、これは神様が「雨の中参拝するのもええもんやで」と教えてくださったような気がする。

神宮参拝後のお楽しみ

神宮参拝後はおはらい町からおかげ横丁へ抜けて赤福本店へ行くのがいつもの道のり。だが今回は、一時は大人の事情で存在が抹消されかけていた碧志摩メグ(CV小松未可子)を発見!表現の自由は辛うじて死守されたようでほっこりした。

赤福本店では、夏場は赤福氷、冬場は赤福善哉を頂くのが通例。この縮尺の狂ったかき氷が空きっ腹を満たしてくれる感覚、神宮参拝を終えたなぁ〜という気がしてくる。

が、今回は前日の食事量が少なかったせいか、どうにも腹の鳴き声が止まらない。というわけで横丁を歩いていると、「焼き伊勢うどん」なる怪しすぎる食べ物?を発見。僕は善良な三重県出身者として伊勢うどんのことはうどんと認めていないので、ただの伊勢うどんに興味は無いのだけれども、さすがにちょっと気になって食べてしまった。

…まぁ、醤油は香ばしくて美味しかったよ…。麺のことは訊かないでほしい。
その後、口の中の醤油感を中和するために再び赤福本店へ足を運び、今度は普通の赤福を頂く。あれ?本店で普通の赤福食べたのってもしかして初めて…???

霧と晴れ間の紀勢東線

神宮参拝の後は一気に紀伊半島を南下。途中雨が降ったり止んだりしていたおかげで、山間を走る紀勢東線からは良い感じに霞掛かった景色を拝むことができた。また、紀勢東線は列車交換等での駅での長時間停車が多く、駅舎やホームをじっくり眺められるのも良い。ただし、間違って列車に置いて行かれると次は2時間後とかなので要注意である…。

なお今回は三瀬谷駅、三野瀬駅、尾鷲駅あたりで良い感じのご褒美長時間停車タイムを満喫できた。中でも尾鷲駅に至っては22分。駅を出てお土産を買って戻っても余裕だった。以前のダイヤだと紀伊長島駅に40分くらい停まる列車もあったけれども、どうなったのかな…。

ちなみに、尾鷲あたりからは晴れ間も見えてきて、霧と海との競演が良い感じだった。熊野灘の海と山が入り組んだ景色は、日本の原風景だと思う。

駅前B級スポットだらけの新宮

始発の多気からロングシートのキハ25形1000番台に揺られること4時間、漸く終点の新宮に到着する。実は熊野市から先は未乗区間なので、この辺りからは乗り潰し目的も入ってくる。新宮からはすぐの連絡で勝浦方面へ行けたのだけれども、まだ日没まで時間があるので少し散策することに。すると、駅から徒歩2分で異国情緒のある空間に。

この場所は徐福公園といって、秦の始皇帝の時代に日本へやってきた徐福という方士を記念する公園らしい。ただ、如何せん秦の時代とか昔すぎて伝承もあやふやだし、こぢんまりとした公園の中に入ってみても、開いているのかどうかも怪しい売店がぽつんとあるだけで中は閑古鳥だし、とても香ばしい雰囲気だった。

気を取り直して新宮城跡にでも登ってみるかと足を運んでみると、パチモンの復元天守みたいなのが見えてきたので、地図の方角的にも合っているからと近付いてみると、そこはなんと天理教の教会の建物。よりにもよって城跡の隣に建てるかよ…。

途中下車の散策でまさかディープスポットが連発するとは思わなかったので、個人的には面白かったけれども普通の旅の方は要注意だ…。本物の新宮城は石垣だけである。

1週間くらい滞在したい勝浦漁港

JR西日本お得意の魔改造によってメカメカしいお姿になった105系に揺られ、2日目の宿である勝浦へ向かう。ちなみに和歌山近隣の出身者にとって、勝浦といえば那智の勝浦だ。むしろ房総半島に同じ名前の勝浦があることは東京に出るまで知らなかった。

閑話休題。

勝浦、めっちゃ良い(語彙力…)。
元々田舎の漁港は好きなのだけれども、勝浦は生きた漁港でありながら過度な観光地化がされていなくて丁度良い感じがする。三崎や房総は東京から近いからあんな感じだけれども、勝浦は大阪からも名古屋からも地の果てという感じで、それでも特急が双方から走ってくるから何とかバランスを保っているのかもしれない。

というわけで、ビジネスホテルの扱いなのにオーシャンビューな宿に泊まり、

ここは奇をてらわずに王道のマグロ尽くしな食を満喫し、

食後の1時間は海風に当たってまったりと過ごし、

翌朝の漁師町は完全に昭和な空間。

今まで旅した中でも、町としてはトップクラスに良い場所だと思った。

まぁ、田舎ならではのおもてなしも受けたけれどもそれはご愛嬌で。

オーシャンビューのバーゲンセール

というわけで3日目。
紀伊田辺までは問答無用で105系N30のロングシート運用らしい。

ただし、車窓は見事を通り越して飽きるほどのオーシャンビュー。紀勢東線とは打って変わって穏やかな浜辺が多くなる。朝や夕方は海面に反射する日光で幻想的な雰囲気を味わえると思う。

紀勢西線の鉄事情

さて、紀勢西線は東線とは違って列車はバリエーション豊かだ。

105系に揺られた後は、紀伊田辺から御坊までの短い区間を113系N30改造車に乗車する。外装は見るも無惨だけれども、内装はN30なので座席周りは往時を偲ばせる貫禄がある。JR東日本や東海からは淘汰されてしまったけれども、もう暫く踏ん張ってほしい。

そして紀勢西線といえば花形特急のオーシャンアロー。今でこそくろしおの中に組み込まれてしまったけれども、283系の人気は健在。500系といい、JR西日本には不遇なスター車両が多いよな…。

そして御坊からは関空仕様の223系0番台。この辺りから車窓も街っぽくなってきて、日常に回帰した感が出てくる。

シメの和歌山ラーメンのはずが

紀伊半島一周のシメは和歌山ラーメン。のつもりだったのだけれども、立ち寄った近鉄地下の清乃というお店、「こってり和歌山ラーメン」の名でどろり濃厚なラーメンを出してくれる。これはこれで美味しかったのだけれども、和歌山ラーメンかと言われるとうーん?な感じかもしれない。まぁ、王道の和歌山ラーメンはあちこちにお店があるのでまた機会があれば立ち寄ろうと思う。

おわりに

この後は力尽きて大阪まで熟睡してしまい、疲れを予想した采配で慣れた彦根に宿泊、そして最終日は寄り道する体力も無くひたすら東海道線に揺られながら惰眠を貪ってしまった。

やはり3泊4日の鉄道旅は強行軍だったかと思いつつも、雨の神宮参拝も紀伊半島一周も、途中の立ち寄り含めて非常に楽しかった。そして期間中はずっと雨予報だったにもかかわらず、神宮参拝以外はほとんど雨に打たれなかったのはラッキーだった。

青春18きっぷでの旅は安宿と組み合わせると財布にも優しいので、これからも年に一度は満喫したいと思う。

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おまけ:Twitterのタイムライン

趣味の一環としての土日に体を動かす習慣

ここ数ヶ月、体重が人生最高を記録していたので、さすがにメタボ対策を急がねばと土日に体を動かすことにした。ただ、ジムのような所は人が多くて辛いし更衣室の臭いに耐えられない。というわけで近場の街を散策することにした。

初週は歌舞伎町のホテル街や北新宿、百人町といったカオスな地域を歩いて回り、翌週は自転車で新宿御苑や代々木公園の周りをぐるり。そして今週は、徒歩から自転車と来れば鉄道だろうと、近場でまだ乗ってない路線に行くことにした。更に欲張って、沿線の社寺にも参ることに。

階段縛りと駅からの徒歩移動

体を動かすのに鉄道かよというツッコミはありそうだけれども、特に地下鉄や都市近郊の鉄道については「エスカレーターやエレベーターを使わない」という階段縛りを加えると、結構良い運動になる。

また、駅から目的地までの移動でもそこそこ歩くということもバカにならない。実際、今回の徒歩移動距離はGoogle先生によれば3.7km。結構歩いた。

東急世田谷線

というわけで、今回選んだ路線は東急世田谷線。鉄道というか、軌道だけれども。都内に残る軌道の片割れ、都電荒川線には早稲田-王子駅前間で乗車したことがあるけれども、こちらは初。

全線が専用軌道で駅もしっかりしているので、見ただけでは鉄道と区別がつきにくい。けれども走り出すと最高速度は40kmのノンビリ運転で、架線を見れば軌道っぽさがよくわかる。あと、今回は素通りしたけれども、途中で道路の信号を渡るのも味わい深い。

幸い、都電荒川線のような慢性的な混雑はこちらではそれほど感じられなかったので、都内で長閑な軌道路線を楽しむなら、こちらの方が穴場だ。

世田谷八幡宮

下高井戸から宮の坂まで戻り、駅前すぐに鎮座する世田谷八幡宮へ。

地元密着感のある神社でありながら、末社の周りに池があったり、立派な土俵が構えられていたりと、広々した境内で落ち着く。社殿では祈祷も行われていて、氏子さんからの崇敬も厚そうだ。周辺の町並みも閑静で、住みたいと思えてくるほど。

滋賀に住んでいた頃、家の前が建部大社で、唐橋を渡れば京阪の駅という似たような場所に住んでいたということもあるかもしれない。神社の近くに住みたい。住みたい。

豪徳寺

世田谷線で招き猫ラッピング車に当たったからというわけではないけれども。招き猫発祥の地、井伊家菩提寺の豪徳寺へ。世田谷八幡宮からは徒歩5分ほど。

まずは立派な松の参道に圧倒される。そして境内は井伊の家紋・旗印と猫づくし。御堂の屋根に家紋というのは、有力武家の菩提寺では王道ではあるけれども、彦根の龍潭寺ではそこまで押されていなかったので、雰囲気の違いを感じた。

一方で、招き猫はこちらが本家なのに、彦根の方で大人気になるという…。元彦根民としては複雑な心境である。ちなみに招き猫は写真に収まりきらず、この3倍くらいはいらっしゃるので圧巻である。三重塔にまで猫さんが彫られていたり、完全に猫寺である。

北澤八幡神社

豪徳寺駅から小田急で下北沢へ。豪徳寺界隈は閑静で、駅前の商店街も賑わってはいたけれども地元密着感があって良かったのに、下北沢の人混みは一体…。言うなれば竹下通りをもっとカオスにした感じか。

そんな煩悩空間を越えると急に閑静な住宅街になり、高台にそびえる地元密着感あふれる神社が。

麓は子供の遊び場になっていて、神社の境内で遊ぶ子供達という昔ながらの光景が垣間見える。中腹に神楽殿、最上部に本殿や末社が並んでいる。また、富士塚があって冬の天気の良い日であれば富士山もくっきり拝めるらしい。

おわりに

東京も場所を選べば人混みを避けつつ鉄分や社寺分を補給できることがわかったのは僥倖だった。おまけに良い運動にもなった。夕食後に3時間くらい寝落ちしたけれども…。

来週以降も毎週どこかを散策するという習慣は続けていきたい。なお、全ての行程ツイートは以下から。

令和最初の初詣?

まずは新帝陛下の皇位継承を心よりお慶び申し上げたい。また、令和の御代の安寧と、皇室の弥栄をお祈り申し上げたい。

今日は一般参賀が大賑わいだったようで、誠に喜ばしい。僕は人混みがダメなので遠慮させていただいたけれども、平成最初の時よりも多くの人出だったようで、皇室への親しみが深まった平成の御代だったのだなと、上皇上皇后両陛下には改めて敬服する。

さて、僕自身はというと、5月1日は何処の神社も賑わうだろうし、神様も忙しそうだと思ったので、暫く待って5月3日の早朝から令和最初の神社参りをさせていただいた。最近体重が気になっていたので、運動がてら自転車で。

新宿諏訪神社

例によって例の如く、氏神様に参る。7時から社務所が開いているようだったので、7時に。

やはり早朝の神社というのは気持ち良くて、新宿(ほぼ高田馬場だけれども)とは思えない空気の澄み具合だった。そして境内に掛かる鯉のぼりが季節感溢れていて良い。こういう所が地元密着の神社の良さだと思う。

新帝陛下御即位の記念御朱印を5月の間いただけるということだったので、折角なのでいただくことに。最近は御朱印ブームで各地の神社とも混雑しているため、頂いたのは1月の赤坂氷川神社以来だった。

東京大神宮

新宿諏訪神社から真東へ、早稲田、神楽坂を越えれば15分ほどで飯田橋は東京大神宮。

こちらも毎年恒例。6月あたりか、遅くとも夏迄には伊勢の正宮に参拝するつもりではあるけれども、まずは遥拝させていただいた。7時台でも参拝される方は多く、人々の御祝いムードを肌で感じる。

花園神社

飯田橋から靖国通りを新宿へ戻り、花園神社へ。

こちらも以下略。驚いたことには、普段の早朝は人気が全く無いのに、この時は結構な参拝者が。

と、ここで気付いたのだけれども、どうも多くの神社では御朱印受付は9時かららしい。東京大神宮はいつも早朝に参拝すると社務所が閉まっているし、こちらでも神職の方に尋ねると9時からとのこと。早朝に頂いたことが今まで無かったので、これは新しい知見だった。

明治神宮

さて、今回は御代替わりということで、明治帝にもご挨拶に伺うことに。

まだ8時台なのに参道は多くの参拝者で賑わっていた。それでも朝の境内の香りは濃く、やはり早朝参拝は良いなと再認識。

驚いたのは、この時間でも御朱印授与に30分待ちという盛況ぶり。それでも1日昼間の大行列を思えば全然なので、折角なので並ばせていただいた所、なんと14人体制で回されており、驚愕した。元々9時から受付の所を前倒しされていたようでもあり、頭の下がる思いだった。

おわりに

新しい御代を迎え、皇室も各地の神社も人々にとって身近な存在であり続けていることは喜ばしい。個人的には静かな境内が好きなので、あまりに混雑することには複雑な思いだけれども、神社が潤うのは良いことなので、益々の繁栄を願いたい。

ちなみに、今回の走行距離は徒歩含めて23km。まぁまぁ良い運動にもなった。

令和にまた参りたい神社

平成もいよいよ大詰めというということで、平成最後のブログ記事として鉄道、アニメ、音楽などの趣味から何かしら振り返り的なものを書こうと思ったけれども、ここはやはり神社だろうという天啓によって、平成に参った神社の中から特に良かった所を挙げていきたい。

なお、僕の好みを挙げておくと、次のような感じになる。

  • 祭事以外は概ね混雑していない
  • 都市から離れた閑静な地である
  • 動植物に溢れている

ちなみに、写真を撮る習慣がブログを書き始めるまでほぼ無かったため、過去に参拝した神社の写真はWikipediaから引用させていただいているのであしからず。

瀧原宮(三重県度会郡大紀町)

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著作権者 N yotarou氏 / CC BY-SA 3.0

皇大神宮(伊勢神宮・内宮)の別宮。内宮のモデルになったとも言われるくらいに、内宮とよく似た土地に鎮座しているが、更に山深い場所柄か、荘厳な雰囲気は早朝の内宮以上のものを感じる。土日の午後でもすれ違う人が二桁行くかどうかみたいなことも普通にあるくらいに閑散としていて、玉砂利を踏みしめる音と大自然の音色だけが響く長い参道を歩けば身も心も洗われる。

本殿も木々に囲まれて静寂に包まれている。正宮では御垣内参拝でなければ拝めない本殿は、神明造で質実剛健。皇大神宮の別宮なので、もちろんお祀りされているのは天照大御神である。この荘厳さは写真や文章では表し切れないので、是非とも実際に参拝していただきたい。

諏訪大社 上社前宮(長野県諏訪市)

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著作権者 Saigen Jiro氏 / Public domain

国内でも有数の古社である諏訪大社。実は諏訪大社は二社四宮からなり、一般に諏訪大社というと、上社本宮を指すことが多いし、観光客の多くは上社本宮だけを訪れる場合が多く、普段から賑わっている。

一方の上社前宮は、本宮よりも更に歴史が古く、建御名方神の諏訪入り以前から土着信仰の拠点であったとされる。こちらは良い意味で全く観光地化されておらず、何も知らない人が訪れたらごく普通の地域の神社と勘違いしてしまうかもしれない。それでも、本殿を囲む御柱は紛うことなき諏訪大社のそれであり、境内には神聖な雰囲気が漂っている。諏訪大社を参拝する際には、是非とも上社本宮だけでなく、二社四宮を参拝されたい。下社の春宮、秋宮もまた独特の雰囲気の境内でおすすめだ。

戸隠神社 奥社(長野県長野市)

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著作権者 Chris 73氏 / CC BY-SA 3.0

霊山・戸隠山に五社を配する神社。元々は神仏習合の修験道場だったが、明治の神仏判然令により神社となった。そうした経緯から、境内には仏教由来の建築も数多い。五社の中間に鎮座する中社が規模も大きく、人が賑わう。

ここから奥社の大鳥居へ足を進めると、一気に閑散としてくる。というのも、そこから奥社本殿までは片道2kmを歩かなければならない。ただ、その参道こそが戸隠神社の神髄で、写真の通り、樹齢400年超の見事な杉並木なのだ。この参道を2kmも歩けば、煩悩も吹っ飛ぶというものである。往復4kmは中々の距離だが、歩くこと自体に意味があると思えること請け合いなので、是非とも奥社まで参拝されたい。

北口本宮冨士浅間神社(山梨県富士吉田市)

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浅間神社といえば、有名なのは富士宮に鎮座する富士山本宮浅間大社だ。一方でこちらは山梨側に鎮座する浅間神社で、元々は諏訪神社であったとか。

こちらには7月中旬に参拝したのだが、度肝を抜かれたのは境内一面に鳴り響くヒグラシの大合唱。生まれてこの方、ここまでもの凄いヒグラシの声を聴いたことが無い。夏場の田舎の夕暮れでも、鳴いているのは大抵数匹なのだけれども、この時は何十匹と鳴いていて本当に凄かった。

白山比咩神社(石川県白山市)

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著作権者 Shun Zero氏 / CC BY-SA 4.0

言わずと知れた白山神社の総本社。金沢からかなり山奥へ入った所に鎮座する。僕が参拝した頃はまだ北陸鉄道が加賀一の宮まで伸びていたのだけれども、残念ながら廃止されてしまった。

こちらもまた白山の美しさを感じさせる参道が見事。ただ、同じく山岳信仰で神仏習合から神社へと転換した戸隠神社とは異なり、こちらは仏教的な要素はそこまで感じられなかった気がする。とはいえ、最後に参拝したのが10年以上前なので、記憶が曖昧な部分もあるかもしれないけれども…。

平泉寺白山神社(福井県勝山市)

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著作権者 Namazu-tron氏 / Public domain

こちらも白山神社の総本社とされる神社。平泉寺の名の通り、元々は天台寺院で、やはり明治の神仏判然令により神社となる。ただ、今でも平泉寺の名を冠している所は面白い。あと、白山比咩神社との色々な歴史を紐解くのも面白いのだけれども、それはまた別の話。

境内はこれまた正に神仏習合で、境内の庭園は完全に寺院のそれ。また、参道の苔が見事なので、夏場の雨上がりにでも参れば格別だろう。こちらも最後に参拝したのが10年以上前なので、そろそろまた参拝したいものだ。

殿堂入り:神宮(三重県伊勢市)

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季節と時間を選ばないと大混雑になるので挙げようか迷ったが、やはり神宮は何度でも参りたいので紹介しておく。おすすめは夏場の日の出と共に豊受大神宮(外宮)へ参拝し、すぐに皇大神宮(内宮)へ参拝するコースだ。神宮は正宮内だけでも14の別宮が鎮座するので、これだけでも良い時間になる。おかげ横丁の誘惑はあるだろうけれども、後のお楽しみに取っておこう。これならば、土日であろうと昼間の混雑が嘘のような静けさの中で参拝できる。

ちなみに、正宮外には瀧原宮の他にも別宮が点在しているので、時間が許せばそちらもおすすめ。どこも正宮とは少しずつ違って、でもやはりお伊勢様だなぁと感じられる、素晴らしい社である。

おわりに

こうしてみると、本州の真ん中辺りに集中しているけれども、そもそも神社が機内に多いというのと、僕自身が三重県や滋賀県を主な住処にしていたのでどうしても偏ってしまったのだと思う。

なお、昨今の御朱印ブームで神社はどこも参拝者が増えているので、僕が参拝した時点と今とでは混雑具合が全然違う可能性もあるので、そこはあしからず。まぁ、瀧原宮については自信を持って(持つな)空いていると断言できるので、重ねて推したい。

平成最後の建国記念日だけど雪予報なので

心の中で天津神国津神へジャンピング土下座をキメつつ、関東の松の内以降に参った社寺を晒していく。全て東京都内である。

ちなみに、初詣で参った神社はこちら。

aikawame.hateblo.jp

田無神社

文字通りの田無鎮座。四神ならぬ五龍神を祀る神社。東方が青龍、南方が赤龍と来れば、当然白龍、黒龍であり、本殿には金龍という具合。3連休ということもあってか、境内には屋台が出て、龍神には行列ができていた。こぢんまりとした境内に対する人口密度がやばかった。

烏森神社

新橋鎮座。鳥居の形が非常に珍しいけれども、これは拝殿の意匠に合わせているのが写真から見て取れるかと思う。オフィス街のど真ん中なので、防火対策としてコンクリート造りになっているようだ。あと、季節限定の御朱印があるようで、うまく時流に乗っている印象。

日比谷神社

こちらも新橋鎮座(!)。元々は日比谷鎮座であったのが、慶長年間に新橋へ遷座、更に平成21年には現在地へ遷座しているということで、社殿をはじめ境内は真新しい。高層ビルを借景としたガラス張りの拝殿という、何とも現代的な光景。

赤坂氷川神社

文字通りの赤坂鎮座。2度目の参拝になるが、個人的には東京都内の神社の中ではかなりのお気に入り。どの駅からもそこそこ歩くけれども、そのお陰で境内は非常に静か。そして木々に囲まれていて神々しい雰囲気が漂っている。東京十社の大穴場。

穴八幡宮

早稲田鎮座。こちらも2度目の参拝になるが、今回は節分ということで境内には屋台が出ていて大賑わいだった。また、「一陽来復御守」という金銀融通の御守が有名らしく、その頒布が冬至から節分までということもあってか、授与所には行列が。一方で、別当寺の方は静かだった。

日枝神社

赤坂鎮座。これまた2度目の参拝。大通りに面する巨大な山王鳥居と広い階段、そしてまさかのエスカレーターが設置されているという、都市型神社の総本宮(勝手認定)。建国記念日当日が雪予報だったので、フライングで参拝してきた。

おわりに

今年は年明けから飛ばしているけれども、まぁ社寺に関しては仮に1日1社ずつ参ったとしても死ぬまでに全て巡るのは不可能なので、枯渇の心配は無い。

平成最後の初詣

ここ数年、初詣がパターン化しているような気がするけれども、変化していく人生の中にあって変わらない安心感というのもこれまた良しということで、それほど変わり映えしない初詣の記録を綴っていく。

御礼参り

氏神様である新宿諏訪神社と新宿総鎮守である花園神社へ毎年恒例の御礼参りに。今年は仏教の世界では法輪ナイトと呼ばれる日に参拝して今年1年の無事を感謝すると共に、御神札を頂いてきた。

本当はお伊勢さんまで参拝したいのだけれども(以下略)

新宿諏訪神社

亥年に限らずちょくちょくやってしまうのだけれども、列ができている時に参拝すると、ついつい前に出て賽銭箱に頭をぶつけてしまう。まぁ、建御名方命は軍神なので、元気があってよろしいくらいに思っておいでだろうと勝手な想像をしておく。

ちなみに、今年はゆく年くる年を自宅でのんびりと観ながら年明けを迎え、そこからの参拝。年を越してからの方が人が増えるようで、去年の1.5倍くらいの行列になっていて少しびびった。それ以外は大体去年と変わらず。御神籤も去年に引き続いて吉。

東京大神宮

東京大神宮へは仕事始めの7日に参拝。日の出と共に参拝したのだけれども、同じ時間を見計らってか参拝者が多かった。見るからに信心深い方が多い。

花園神社

その足で花園神社へ参拝。こちらは去年とは打って変わって静まり返っていた。こんな静かな花園神社へ参るのは初めてかもしれない。早朝参拝オススメ。

明治神宮

会社の事務所が原宿へ移転したので、今年の会社での初詣は明治神宮へ。松の内の明治神宮とか激混みだろうと思っていたけれども、普段の週末よりはまぁ多いな…というくらいだったので、まだ助かった。

あと、明治神宮では初めての昇殿参拝だったのだけれども、御神楽奉納が見事だった。祝詞の奏上に関しては会社が多すぎて大変なことになっていたけれども、そこはそれ。

そして、写真は完全に忘れていた。

おわりに

平成最後の初詣と考えると名残惜しさもあるけれども、今年は新しい御代の始まりでもあるので、各地の神社を参拝したい。そして今年は神宮参拝と出雲詣をやり遂げるのが密やかな個人目標だったりする。

無料で乗る京王5000系と紅葉前でも人大杉の高尾山

実家から家族が東京へ来て、成り行きで高尾山へ参詣することになった。現地集合だったので、折角乗るならと京王5000系を狙い撃ちしてみた。

ロングシート運用の5000系

以前から5000系には興味はあったものの、京王ライナーは新宿を夕方から夜にかけて出発する運用だけなので、新宿住まいの僕には全く無縁の存在だった。ただ、5000系自体は京王ライナー以外の列車にも充当されているので、それに乗れば良いやということで調べてみた。ありがたいことに、5000系の運用を詳しく調べている方がいらっしゃったので、参考にさせていただいた。

blogs.yahoo.co.jp

日曜日だったので、本八幡8:36発の快速橋本行きが丁度良さそうということで、いざ新宿三丁目駅へ。車両点検とかで他の車両が充当されるという事案が発生しないことを、こればかりは祈るしか無い。すると…、

本当に来た!5000系!!しかも快速なので社内はガラガラだ。ここぞとばかりに写真を撮らせていただく。

こんな感じに、京王ライナー以外ではロングシートでの運用となる。それでもシートは同じなので、京王の他の車両とは段違いの快適さだ。感覚値でしかないけれども、座り心地は近鉄5800系L/Cカー以上、JR西223系未満という感じか。近鉄以外のデュアルシートには乗ったことが無かったので、他に比べる相手が居ないのが辛い所だ…。

ちなみに、扉上だけでなく社内中央部にも液晶画面が付いているのが今時のデュアルシート車両っぽい。あと、京王ライナーでは無料Wi-Fiも使えるけれども、今回乗車した時も普通に電波が飛んでいたので、Wi-Fiについては制限は無いのかもしれない(実際に試してはいない)。電源コンセントについては、写真の通りロングシート運用では閉じられているので使えない。

そんなこんなで車内や車窓を眺めていると、あっという間に調布に到着。後から来た特急に乗り換え、更に北野で高尾線に乗り換え、高尾山口へ。高尾からは、いかにも登山客という感じのバックパックを背負った人達が一気に増えて、高尾山口も大賑わい。紅葉直前の中途半端な時期なのに、ホームの階段は新宿駅のような混雑ぶりだった。

平衡感覚を殺しに来るケーブルカー

今度は高尾登山電鉄のケーブルカーに乗車する。麓の清滝駅には既に行列が。ただ、7分間隔で運転していたおかげで、十数分待った程度で乗車できたのは有り難かった。

そしてやって来たケーブルカー。これは僕の手元が狂っているわけではなく、清滝駅には思いっきり山側に傾いた状態で到着する。というのも、このケーブルカー、最急勾配は31度18分で、ケーブルカーとしては日本で一番の勾配なのだ。麓では勾配が緩いから山側に傾くし、逆に山上では少し谷側に傾く。

特に下りで進行方向に座ると、発車から数分に亘って前へ押し出される感覚があって、面白いけれども中々落ち着かない体験をすることになる。この感覚は乗ってみないと中々わからないと思う。

人大杉の高尾山

流石は東京から気軽に来られる登山スポットだ。どうしようもなく人が多い。薬王院への参詣が目的の人と登山が目的の人がごっちゃになって、混沌としていた。普通の社寺の雰囲気ではなかったので、普段なら山門や参道の写真を撮るのだけれども、まともな代物にならなかったので、貼るのは諦める。

ただ、奥の院と浅間社は良くも悪くも通り過ぎていく人が多いので、比較的落ち着いて参拝できると思う。逆に、山頂はウェーイな感じになっているので、早々に退散することとなった。

一番印象的だったのは、薬王院の本堂から山伏の方が出てきたことだった。高尾山は修験道の道場としての歴史があるからというのは理解できるけれども、同じく修験道場である戸隠山では、神職の姿の方しか見掛けなかったので、レアな発見だった。

あと、戸隠山は明治の神仏分離で完全な神社に転換されたけれども、高尾山は神仏習合の形を色濃く残していて、本堂と権現造の本社、そして鳥居が立ち並ぶ姿は歴史を感じさせる。

おわりに

高尾山はもう少し落ち着いて参詣できれば良かったけれども、都内なので中々難しいのだろうなと思いつつ、今回はめでたく京王5000系に乗れたので、久々に鉄分を補給することができた。そう言えば最近まともな鉄道旅行をしていない気がする…。そろそろアニメ用と鉄・社寺用とプログラミング用に分裂したい。

平成30年の花見@山梨県

ここ数年は東京から日帰り出来る甲信越近辺へ花見に出掛けているけれども、今年もその例に漏れず、山梨方面へ出掛けることにした。

昼食:奥籐第二分店

甲府と言えば鳥もつ煮ということで、友人から薦めてもらったのがこのお店。写真の鳥もつそば定食が名物とのことで注文。

その友人によれば本店よりも第二分店の方が鳥もつ煮の量が多いということだったのだけれども、実際目にして納得した。しかも蕎麦は食べ放題。流石にそうなると人気店として店内は慌ただしくなってしまうものの、味の方は間違いなかった。酒を飲む人であれば、あのこってり甘辛の鳥もつ煮は病み付きになると思う。ただ唯一残念だったのは、僕はそもそも食が細いので、蕎麦のお替わりはとても出来なかった…(苦笑)

武田神社

甲斐武田氏の居館、躑躅ヶ崎館の跡地に鎮座する神社で、灯籠や手水舎等の至る所に武田菱が配されているのが印象的。実は武田神社には一昨年にも参拝したことがあって、その時は真夏だったのだけれども、この時期の境内はやはり華やかになる。

そして、武田神社へ参拝するならば必ず甲府駅から真っ直ぐに伸びる参道を通りたい。なんと、約2kmに亘ってずっと桜並木が続いているのだ。これほど長くて綺麗な桜並木を眺めたのは長瀞の桜のトンネル以来で、神社の参道では他に無い。

慈雲寺

臨済宗妙心寺派の寺院で、樹齢300年とされる糸桜、所謂枝垂桜が有名。樋口一葉と縁があることでも知られる。桜は本堂を覆うようにして咲き誇り、圧巻としか言い様が無かった。甲府市街から離れていることもあって境内は比較的落ち着いていて、のんびりと花見を楽しめるのも良かった。

おわりに

本当は今回の主目的は久遠寺だったのだけれども、渋滞予想が酷かったのと、やんごとない事情があったため、若干の物足りなさを感じつつも東京へ戻ることになってしまった。とは言え雰囲気の異なる美しい桜を楽しめたのと、また甲府盆地は至る所で桃畑も見頃になっていたので、桜以外の楽しみという新しい発見もあった。山梨方面にはきっとまた近い内に訪れたいと思う。