35歳からの中二病エンジニア

社寺・鉄道・アニメを愛でるウェブ技術者の呟き

マナーが悪いのは撮り鉄だけではない

お題がやや煽り気味なのはご容赦を。

桜の季節ということで、居住地である鎌倉市内の社寺を巡った。観光客の邪魔にはなるまいと、早朝6時台から各所を回ったのだけれども、思う所があったので書き留めておく。

論点

誤解が無いように、最初に論点をまとめておく。

  • 一部の所謂撮り鉄のマナーが悪く、鉄道会社や一般乗客等が多大な迷惑を被っていることについて、擁護する気は全く無い。
  • しかし、マナーが悪いのは撮り鉄に限ったことではなく、近頃の撮影スポットにおける写真撮影マナーは概して良くない。
  • プロ・アマ・一般人・鉄ちゃん等の別を問わず、カメラを持つ人達全員が施設のルールや周囲への配慮を心掛けられたい。

桜に群がるカメラ達

コロナ禍の中での花見なので、日中に混雑が予想される所から先に回ろうとルートも予め考えて、6時過ぎには鶴岡八幡宮の段葛に到着。流石にまだ閑散とはしていたが、それでも観光客と思しき人達が桜のトンネルのような参道をパシャパシャと写真に収めている。多くの人達は他の人に気を配りつつ、撮ったら体を避けるような配慮をされていて微笑ましかった。

ところが、境内が見えてきた辺りで参道のど真ん中にカメラの三脚が出現する。ずっと動かずに、境内と段葛を横切る道路や参拝者の列が止まるのを待っているようだ。立ち止まっているのはともかく、段葛は若宮大路の歩道なので、三脚を立てるのには撮影許可が必要なはずだが…。ちなみに、僕が参拝を済ませて戻った時点でもまだその三脚は立っていたので、少なくとも30分以上は公道のど真ん中を占拠していたことになる。

他にも、ある寺院では拝観受付の周囲では撮影禁止と大きく掲示されているのに、僕が拝観受付を済ませるまでの間だけでも5人ほどが無視して撮影していたり、またある寺院では一眼レフカメラでの撮影禁止とされているのに、数えるのも面倒になる程の人々が無視して撮影していたり。しまいには、モデルの人を見栄え良く撮るためか、周りにカメラやスマートフォンを手にした人達が群がっているのを気にも留めずに延々とポーズを変えさせて撮影しているような光景まで。これが数時間の間に拝めるとは中々凄いことだと思う。

世間では、所謂撮り鉄が迷惑行為を行う代表格として槍玉に挙げられているが、こんな光景を目にしてしまうと、撮り鉄諸氏はスケープゴートにされているだけなのではないかと思えるほど、景勝地における撮影マナーは悪いように見受けられた。

多くの人達は配慮している

とはいえ、一般の人達は少し撮影したら移動するし、望遠レンズを抱えたガチな人達も多くは通行の妨げや他の撮影者の邪魔にならないよう配慮されている。大多数はきちんとされているということは間違いないのである。ただ、一部の残念な人達が先述したような禁止されている行為やマナーにもとる行為を繰り返している。これはおそらく、所謂撮り鉄問題と同様の構図なのではないかと思われる。

実際、僕の知っている写真好きな人や鉄ちゃん達は、非常にそういった配慮が行き渡っているし、そもそも人が多く押し掛けるような場所での撮影自体を避けて、穴場を好む傾向にある。良識ある撮影者というのは、撮影時に周囲の邪魔になり得ることについて自覚的なのではないだろうか。

自分達の首を絞めないために

既に鉄道界隈では、さよなら運転等の特別な運行時における制限や禁止事項が多く設けられる傾向にある。景勝地における撮影禁止場所も以前より増えているように見受けられる。撮影者の自浄作用が働かなければ、今後もそうした制約が課されるケースは増えていくだろう。

そうした事態を避けるためには、やれ撮り鉄が悪いだの、やれ一眼レフを持った連中が悪いだのと他責にすることなく、カメラを持つ人達全員が当事者として、施設のルールや周囲への配慮を怠らないことが不可欠である。それでも一部の極端な悪行は無くならないかもしれないが、「周りもやっているし自分も大丈夫だろう」くらいのカジュアルな行いから減っていくのではないだろうか。

自分への戒めの意味も込めつつ、写真撮影に関する思ったことをぶちまけてみた。

今更Instagramを始めた

完全に今更感があるけれども、Instagramを始めた。

https://www.instagram.com/aikawame/

なんで?

僕はSNSでまともに使っているのはTwitterくらいで、Facebookは昔それなりにやっていたけれども意識の高い投稿が多くて疲れたので距離を置いている。Instagramについては10年近く前の黎明期にアカウントだけ作ったことはあったけれども、当時はまだ投稿も少なかったし情報収集のツールとして微妙だったのですぐに使うのをやめた。

今頃になって再び始めたのは、推しの声優さんとかが最近はInstagramを使っていることが多いというのもあるけれども、引っ越してきたのが大きな切っ掛けなのは間違いない。元々鎌倉は大好きな街なので自然と写真を撮ることが増えたし、それをネットに上げないのは勿体ない。そうした時に、Twitterはコンテンツがごちゃつくし、ブログだとカジュアルに上げにくいという問題があって、これはInstagramしか無いだろうと思ったわけだ。

使ってみた感触

とりあえずアカウントを作って過去の写真を上げてみたら、半日もしない内にいいねが50件くらい来てびっくりした。

まぁ、僕が上げる写真といったら京都や鎌倉の神社仏閣とか、鉄道写真とか食べ物の写真が中心なので、タグがキャッチーなのはあると思う。Twitterは好きなことを呟きたいからごった煮のままにしておくつもりだけれども、Instagramは鎌倉・神社仏閣・鉄道・グルメあたりに絞ってやっていこうかと思う。とはいえ承認欲求低めなのでぶっちゃけいいねは程々で良いのだけれども。暫くやってみて面白ければ続けるし、別にいいやとなればFacebookみたいに雑な運用になるだろう。

新宿から鎌倉市腰越に引っ越した

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小動神社から望む腰越漁港と江ノ島

コロナ禍にあって余り大っぴらにするのは憚られたけれども、少しずつ落ち着いてきた感があるので忘れない内に書き綴っておきたい。ちなみに、初耳だ!聞いてないぞ!という方は安心してほしい。引っ越したことは一部の親族と勤務先の人にしか話していなくて、これがほぼ初周知となる。

概要

滋賀から東京都内に出てきて、10年ほど新宿に住みつつ近辺に通勤していたが、鎌倉市腰越の築浅アパートを借りて引っ越した。部屋は1LDKから2LDKに増えた一方、家賃は2/3の10万円になって生活に余裕が生まれた。今は完全な在宅勤務をしながら、余暇は鎌倉の町並みを散策したり海沿いを自転車で走ったりしている。住む場所は人によって相性があるだろうが、多少の利便性と引き換えに住み良い環境を求めるのもこれからの時代にはあり得る選択ではないかと思う。

引っ越した背景

主に人口10〜20万人程度の地方都市を転々とした後、10年ほど前から新宿で妻と同居していた。

15.5万円で1LDKのマンションを東新宿駅近くに借りていたが、数年前に貸主が転売によって変わって以来、契約更新の度に賃料の値上げを迫られて突っぱねるのに辟易していた。また近年では住民間トラブルも出てきて、近隣住民の勘違いで警察沙汰に巻き込まれたこともあった。そんなこんなで、2019年の夏頃からは「次の契約更新までに」くらいの緩い目処で引越を意識するようになり、東京都内の郊外地域をぼちぼちと散策していた。

転機がやって来たのは今年2020年に入ってからのことだ。年初からエアコンが故障して修繕を放置され、その後やって来たコロナ禍、更に勤め先の会社が恒久的なリモートワーク化に舵を切るという大きな意思決定があって、最適解をパズルのように試行錯誤していくことになった。

当然ながら、コロナ禍が落ち着くまで現状維持という選択肢が最初に立った。ただ、入居から10年の更新を迎えるに際して再び賃料の値上げで面倒な遣り取りが発生するのは確実で、その上電気給湯器やIHコンロ等の電気系統もいつガタが来てもおかしくないし、また放置されたら堪らない。更に、部屋の間取りが1LDKだと仕事専用のスペースが確保できなくて、既に家族のストレスが高まっているという事情もあった。付け加えるならば歌舞伎町に隣接する地域柄、繁華街を行き来する人達との接触が避けにくい点も気になっていた。

一つ一つの事情は必要火急とまでは行かずとも、足し合わせると数え役満という所だろうか。そんなわけで、これらの事情を勘案しつつ「もし本気で住みたいと思える賃貸物件があれば」という縛り付きでネット上での部屋探しを継続することにした。

部屋探しの条件

前述の理由で貸主との面倒事に悩まされたので、大手管理会社のサブリース物件を中心に検討することにした。持ち家については僕が飽き性ということもあり眼中に無く、以下の条件を満たす範囲で安くて綺麗な物件を探そうということになった。

  • 部屋の間取りは2LDK以上
  • 東京都心まで片道1時間程度まで
  • 最寄り駅から徒歩15分以内
  • IHコンロ完備

東京都心まで片道1時間というのは、ずっと在宅勤務が約束されるのであれば緩和しても良かったかもしれない。ただ僕の場合はITベンチャー勤務でいつ何が起こるかわからない(実際、恒久的なリモートワーク化という大転換があったわけで)ので、いざとなれば都心との行き来がある程度しやすい場所に絞った。

あと最後のIHコンロについては、家族の安全を考えてのこと。今までにも何度かヒヤリとする出来事があったので、料理をするのであればガスコンロでなくIHコンロ必須ということにした。後付けの製品もあるけれども、2口以上で出力が大きいものとなるとやはりビルトインになるので、完備された物件に絞った。

ただこの条件が曲者で、物件検索でチェックボックスをオンにした瞬間、検索結果が9割減!やはりまだまだガスコンロ強し。ということで、路線や地域から掘り下げていくのではなく、IHコンロ完備の物件を片っ端からチェックしていくという何ともマイナーな部屋探し方法となった。

鎌倉市腰越という地域

前述の条件で色々と物件を探していると、見つかるのはやはり所沢とか中央林間とか、鉄道会社がドカンと誘致した郊外都市が強い。そんな中でひょこっと家族が見つけてきた物件を見て、目を疑ってしまった。

「江ノ島駅徒歩n分・鎌倉市腰越」

GJすぎる。僕は何を隠そう社寺&鉄クラスターの端くれであり、鎌倉は観光等で既に7回訪れているくらい好きな場所だ。ただ、僕の中では鎌倉というと鶴岡八幡宮でお馴染みの若宮大路から大仏でお馴染みの長谷あたりまでの印象が強く、観光には強いが住む街としては今ひとつピンと来なかった。しかし、Wikipediaの記事 を見てみると鎌倉の複数の側面が見えてくる。

三方が低い山で囲まれ海に面する地であり、かつては鎌倉幕府が置かれ政権の要の地となり、日本史の時代区分でもある「鎌倉時代」の由来にもなった。今日では旧腰越町や旧大船町など、いわゆる「三方を山に囲まれた鎌倉」の外側に位置する地域も市内に含まれる。(中略)明治初期、現鎌倉市域を含む鎌倉郡を管轄する郡役所は戸塚(現横浜市戸塚区)に置かれた。明治中期以降、保養・別荘地として、昭和以降に観光地として改めて「都市・鎌倉」の発展を見たのである。ゆえに中世以来の建造物はほとんど存在せず、文化遺産として価値の高い中世都市の遺構の多い地域といえる。

つまり、所謂「武家の古都」としての鎌倉以外にも、腰越や大船のような後から合併した地域や、保養・別荘地として発展した地域が入り混じっているのが今の鎌倉市ということだ。

その中で腰越という地域を見てみると、鎌倉市唯一の漁港である腰越漁港を有しており、街は概ね海に面している。一方、街の中心部には江ノ電の併用軌道区間(所謂路面電車)が現存していて、この電車通りが商店街を兼ねている。Googleストリートビューで見てもわかる通り、街全体が昭和感に溢れていて、隣の七里ヶ浜や江ノ島界隈のようなパリピの巣窟とは一線を画している。

………めっちゃ僕好みやん。

2LDKで10万円は妥当か

さて、そんな鎌倉市腰越の家賃相場はどうかというと、鎌倉市内の江ノ電沿線の相場では概ね最安だ。

江ノ電沿線は見た限り、生活の利便性よりも観光地・別荘地としてのプレミアム感で家賃も動いているらしく、鎌倉駅近くは当然のこと、七里ヶ浜や稲村ヶ崎等の人気観光スポットは家賃も高く、東京都心寄りの郊外よりも高いということが普通にある。一方の腰越は穴場扱いなのか、1Kであれば5万円台で借りられるくらいの妥当と思われる相場感になっている。

2LDKで10万円という家賃については、条件を選ばなければもっと下げられることは事実だし、東京都内でも十分に探せる。ただIHコンロのある物件は選択肢が狭い分相場も若干高めで、見つけた所は管理会社も大手のしかも築浅物件だ。そこまで加味すれば妥当だし、何より今までの2/3にまで圧縮できるというのが大きい。旧居はネット回線付きだったのでその分を考慮しても、毎月5万円浮くわけだ。

場所良し、間取り良し、家賃良し、ということで引越決行となった次第である。

住んでみての所感:住まい

ここから実際に住んでみての所感を3段階評価と共に列挙していきたい。ざっくり◎は旧居より良い、◯は同等か十分満足、△は悪いという感じで。

◎ 家賃は下がり部屋は増えた

家賃は15.5万円から10万円へと一気に下がり、逆に間取りは1LDKから2LDKに増えたので、増えた1部屋を仕事部屋にできた。また鉄筋コンクリートから軽量鉄骨になったので、部屋の角や天井の出っ張り等も無く間取りが自然なのも良い。

◎ 景色や空気が良い

何と言っても部屋から海が見える。そして空が広い。これは精神衛生上非常に良い。旧居では隣もビルで大通りに面していたので窓の外なんて見る気にならなかったけれども、新居では気分転換に外を眺めてリフレッシュできるようになった。

あと、旧居とは比較にならないくらいに空気が美味しい。新宿の空気は排気ガスやら飲食店の換気口からの臭いやら地下鉄の換気口からの臭いやら、色んなものが混ざった淀んだ感じだったけれども、そういう混じりっ気が一切無い。その代わりに磯の香りがデフォルトなので、苦手な人には辛いかもしれない。

◎ 水道水がそのまま飲める

これは職場だと問題無かったので住居設備にもよるかもしれないけれども、旧居では水道水は沸かしてお茶やコーヒーにしても臭くて飲めたものではなかった。新居では水道水をガブ飲みしても平気なので、浄水ポットが要らなくなった。

◯ 虫が少ない

意外すぎて拍子抜けしたのがコレ。都会を離れるとそれに反比例するかのように虫が増えるものと覚悟していたけれども、今までに住んだ所と比べると全然大したことない。勿論新宿よりは多いけれども、夜に窓を開けていてもシーリングライトのカバー内が虫の死骸で埋め尽くされたりしないし、部屋に入り込んでくるとしても蜘蛛が大半なので全然気にならない。

どうやら海の近くというのは真水が少ないので、蚊をはじめ虫が育ちにくいらしい。滋賀に住んでいた頃は琵琶湖が淡水のおかげで塩害は無かったけれども、虫がビックリするほど多かったのを思い出す。虫と塩害、どっちがマシか。究極の選択である…。

△ 塩害と風と湿気が凄い

というわけで塩害は想定内ではあったが、玄関先に置いた宅配ボックスの南京錠が2週間で錆だらけになった時は衝撃を受けた。自転車にはカバーを掛けてあるので今の所は平気だけれども、屋外である以上劣化は早まると思われる。

そして塩害よりも盲点だったのが強風だった。置いてある自転車が総倒れになるくらいの強風が週に一度は吹くので、頭髪のことをとても心配している。あと、湿気については梅雨入り前の晴天時でも風向きによっては70%を超えることが頻繁にある。洗濯物は磯の香りが付くこともあって室内干しがデフォルトになった。

△ ごみの分別が細かい

燃やすごみと燃えないごみが有料なのはまぁ仕方ないとして、プラスチックでも容器包装プラと製品プラに分かれていたり、紙でもミックスペーパーとボール紙・クラフト紙とダンボールに分かれていたり、引っ越してきた当初はごみ分別の説明冊子とにらめっこする毎日だった。また、旧居では粗大ごみ以外は各階のごみ保管庫をいつでも利用できたので、燃えないごみや製品プラの回収が月に一度という事実には目眩がした。まぁこういうのは慣れなので、今ではそこそこ要領良く処理できるようになったけれども。

△ 珍走団が喧しい

これは地方都市あるあるだけれども、週末の夜になると珍走団が湧いてくる。ただ、これについては生まれ育った街でも同様だったのでそんなに気にならない。むしろ旧居のように昼夜を問わず消防署からサイレンが鳴り響くよりは、週末の夜寝る前に限定される分だけマシかもしれない。勿論、あくまで快適さについての話であって、緊急車両のサイレン音は必要なものだが珍走行為は取り締まられるべきなのは言うまでもない。

住んでみての所感:周辺環境

観光都市鎌倉の面目躍如となる部分。逆に言うと、このあたりに魅力を感じなければ利便性に優れた郊外都市や都会に住んだ方が幸せになれるだろう。

◎ 海岸や漁港が近い

近所の人達が水着で家から泳ぎに行く程度には砂浜が近い。シャワーや更衣室が混雑していても関係無いのは嬉しい。あと、シーズンオフであっても漁港があるので、桟橋からぼけーっと海を眺めるのも悪くない。

◎ 江ノ電の併用軌道区間が近い

併用軌道というだけでも気分が上がるというのに、江ノ電は車両の形式が多いので毎度何が来るか楽しみになる。特に最古参の300形と腰越商店街の組み合わせは絵になる。

ただし、道幅がそんなに広くないので慣れない車や自転車がよく電車の走行の妨げになってしまい、警笛がしょっちゅう聞こえてくる。商店街を歩く時も気を付ける必要があるし、鉄道に興味の無い人にとってはデメリットかもしれない。

◎ 名所旧跡が近い

鎌倉は小さな都市なので、名所旧跡のほぼ全てに自転車でサクッと行ける。鎌倉市街までだと市を東西に横断することになるけれども、それでも自転車で20分程度だ。その間海沿いを行けば七里ヶ浜や稲村ヶ崎、由比ヶ浜等のビーチスポットを快走できるし、少し中に入れば極楽寺や長谷のような社寺と緑溢れる閑静な地域をまったり走れる。

あと、住所は鎌倉だけれども腰越は市境なので、江ノ島にも徒歩で行ける。こっちはオンシーズンだと普段から人が多いので日や時間を選ぶけれども、仕事上がりに弁天橋から夕日を見るという贅沢が日常になるというのは良いものだ。

△ 高低差が激しい

鎌倉は三方を山に囲まれ一方は海という天然の要害。これは鎌倉幕府の成立のあたりで習う有名な話だけれども、要するに市内は山だらけということだ。実際、少し内陸寄りの道を走ろうとしただけで大抵は心臓破りの坂にぶち当たる。車やバスでの移動は慢性的な渋滞が厳しすぎるので、現実的な移動手段は原チャリか電動アシスト付自転車だろう。

住んでみての所感:利便性

鎌倉市がというか、腰越が意外なほどに便利な地域だった。車の必要性を全く感じない。鎌倉市内でありながら、湘南最大の街である藤沢駅にもそこそこ近いのが強かった。

◎ スーパーと薬局が近い

これは鎌倉だと住む地域によって全く様相が異なる。昼間は観光客で賑わう地域でも、普段使いの買い物ができる店が皆無という場所も多いので、物件を選ぶ時には慎重を期する必要があるだろう。幸いなことに、新居からはスーパーが徒歩3分以内、薬局も徒歩5分以内なので、日常生活の食料品や消耗品の買い物には全く困らない。コンビニも徒歩10分以内で大手3社が揃っているし、郵便局も美味しいパン屋も5分以内で行ける範囲にある。

旧居は隣がコンビニだったので便利ではあったけれども、スーパーと薬局が今よりも遠かったので、むしろ日常の買い物だけならより便利になってしまった…。

◯ 3線利用可

これまた鎌倉の中でも腰越や江ノ島界隈に限った話だけれども、江ノ電・小田急・湘南モノレールの3線を利用できてしまう。地方都市でこの鉄道の充実ぶりは凄い。おまけにどの路線も日中ダイヤで毎時5本以上列車があるので、「列車の時刻を考慮した行動」という地方都市あるあるな制約が全く無いのが嬉しい。

ただし、同じ鎌倉でも鎌倉市街と江ノ島近辺以外は江ノ電しか選択肢が無くなるので注意されたい。

◯ 片瀬江ノ島駅・藤沢駅から始発で座れる

土休日であれば片瀬江ノ島駅から、平日は江ノ電で藤沢駅まで出れば新宿行きの始発に座れる。座れても混雑が嫌だというのであれば、ロマンスカーに乗るという手もある。幸い小田急は長距離運賃が安いので、片瀬江ノ島から新宿まで運賃は640円、特急券は630円で行ける。これならいざ通勤が必要になったとしても、ロマンスカー通勤しても家賃が浮いた分と相殺してまだ8割くらい残る。

△ 百均の店が近くに無い

これは地味に痛い所。ホームセンターや無印やニトリが遠くても百均があれば大体何とかなると思っていたら、藤沢駅前まで出ないと無かった…。逆に駅前にはダイソーだけで3店舗、キャンドゥやセリアもあるし、3COINSだってある。そのダイソー、1店舗だけで良いから分けてくれ…。

ちなみにこれはかなり贅沢な不満で、藤沢駅前には自転車で15分も走れば着いてしまう。その程度は地方都市では十分に近いと言えるはずなので、いかに自分が新宿に毒されていたかがよくわかる。

△ 他地域のソウルフードが少ない

僕は引越が多かったので各地のソウルフードを食べてきたのだけれども、そういう店が全くと言っていいほど無い。例えば東京であれば、味噌煮込みうどんとかチャンピオンカレーとか近江ちゃんぽんとか、そういうご当地ソウルフードを近場で楽しむことができたのだけれども、こっちには辛うじて天下一品が大船にあるくらい。そもそも天下一品ってもはや全国区だし…。そういうのが恋しくなったら、東京都内に出るついでに食べるしかない。

おわりに

住む場所を選ぶのは就職活動と似た所があると思っていて、それはどちらも「誰にとっても最高」というのは無く、相性で良し悪しが決まるということだ。

僕は20代から30代半ばにかけては仕事第一でハードワークどんと来いな感じだったので、旧居は通勤時間の短さと生活の利便性に振り切っていて、当時としては良い選択だったと思っている。ただ、これから40代にかけては若い頃のような無茶な働き方をしていたら心身を壊す(というか実際に壊した)ので、生活の豊かさに軸足を移していきたいと常々考えていた。新居はまさにその思いを実現してくれる場所だと思っている。

同じ人間でも年を重ねることで価値観が変わるわけで、他人ならば尚更のことだ。人によっては田舎よりも都会の方が合うかもしれないし、古くからの街よりもニュータウンの方が合うかもしれない。僕は今回海沿いの観光都市である鎌倉市の腰越を選んだけれども、これはかなり振り切った選択だという自覚はあるので、人には中々薦められない。

とはいえ、コロナ禍を機に生活や仕事の環境が大きく変わった人々も今は多かろうと思うので、大都市よりも人混みの少ない地域へ引っ越そうとか、アウトドアの娯楽が多い地域へ引っ越そうとか、多少の利便性と引き換えに住み良い環境を求めるのも良いのではないかと思っている。

蛇足

腰越という地名について、歴史に造詣のある方であれば源義経の腰越状(頼朝から鎌倉入りを許されなかったアレ)を思い浮かべるかもしれないが、まさにこの地のことであり、由来とされる書物や逸話が町内の満福寺に伝わっている。

あと、冒頭の腰越漁港の写真、これは今期アニメとして放送されているかくしごとのOPサビで映し出される漁港そのままだったりする。こうしたネタが近所に散りばめられているのはとても楽しい。いつかは飽きる時が来るとしても、当面は満喫できそうだ。

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江ノ島弁天橋から眺める夕日

モバイルSuicaの年会費が無料化されたので

2020年2月26日、ついにモバイルSuicaの年会費が無料化された。

僕は以前にJR東日本のサービスに嫌気が差して以来、VIEWカードを捨ててSuicaはGoogle Payから使っていたけれども、無料ならばということで久々にアプリをインストールしてみた。

ちなみに、公式サイトの当日のニュースリリースには何の記載も無く、申し訳程度にFAQに載っているくらいだった。ほんまそういうとこやぞ。

mobilesuica.okbiz.okwave.jp

変わったこと

  • 年会費が無料になった

変わらなかったこと

  • オートチャージは相変わらずVIEWカードのみ対応
  • ガラケーベタ移植な感じのUIは今も放置されたまま

できるようになったこと

  • モバイルSuicaアプリからグリーン券や定期券、切符等を買えるようになった

結論

やっぱりJR東日本のサービスはお排泄物でしてよ。

Suicaグリーン券や定期券の購入にモバイルSuicaを使いたい、かつVIEWカードを持っていないという人には朗報だ。それ以外の人は…わざわざGoogle Payではなくこちらを選ぶ理由は少ないだろう。

というか、なぜこのタイミングでオートチャージを全てのクレジットカードに対応させないのか…???ユーザビリティーよりも自社系カードへの囲い込みを優先とか、インフラを司る企業としてどうなのだろう。

結局の所、僕は定期券は使っていないので、モバイルSuicaアプリを使うメリットは年に数回あるかどうかのSuicaグリーン券購入くらいか。それにしたって券売機で買えれば事足りるのだけれども、ホームの券売機はカード型Suicaしか対応していないというお排泄物っぷりな状況なので、わざわざ改札を出て購入するよりはアプリを入れておく方がマシかという感じ。

正直、モバイルPASMOには期待している。交通系ICアプリの独占を崩して競争を促してほしい。

三度目の彦根を高速バスで(養老線もあるよ)

大学時代の先輩の結婚祝いがあったので、今年3回目の彦根遠征をしてきた。

行程に悩む

以前から東海道本線や中央本線をフィーチャーしていることからもお察しの通り、僕は東海道新幹線については心底飽きている…。決して嫌いではないのだけれども、東京生活が10年を超えてきて、それでも年に数回は彦根だ京都だ三重だと往復していたので、すっかり移動手段としか感じられなくなってしまった。

そして、今年は既に中央本線を2回利用していて、東海道本線は静岡県内が地獄なのであまり使いたくない…となった時、「バスならどうか?」という乗り鉄にあるまじき選択肢が脳裏を過ってしまったのだ…。とはいえ、競合の交通手段を知った上で鉄道の魅力を再確認するのも一興だと適当な言い訳を付けて、色々と調べてみる。

夜行バスについては、20代の時に一度だけ復路で利用したことがあったけれども、3列シートでそこそこ快適な座席だったはずなのに降りる頃には全身ガシガシで、2日間くらい体調が微妙だった悪夢が蘇る。おまけに東京-彦根間の便は、東京側の発着が東京駅近くの鍛治屋橋駐車場なので、西側の住民的には便が悪い。というわけで、夜行バスは即刻却下。

そうなると昼行の高速バスなのだけれども、これは距離的な問題で彦根までの便は乗り継ぎ含めてまともに存在しないらしい。ただ、東京-名古屋間は複数社で競争があって選びやすいし、運賃も3連休のかき入れ時で往復7,000円程度と非常に安い。これに名古屋-彦根間の列車運賃を足しても1万円を少し超える程度なので、新幹線で往復する場合の半額程度。やはりバスは安い。

一方の所要時間はというと、車で東京へ行ったことは何度かあったので予想は付いていたけれども、大体6時間弱。まぁ在来線でもこれくらいは掛かるし妥当だろう。乗り換えが無いから楽というメリットもある。ただ、ここで「3連休」という罠を完全に見過ごすというバス旅初心者にありがちなミスをやらかすのだけれども…。

バスタ新宿、すごく便利

さて、往路は3連休初日の11月2日(土)8時ちょうど、バスタ新宿発。バス旅行に慣れている諸氏からすると、既にフラグが立ちまくっているのだろうが、僕はまだのほほんと初めてのバスタを堪能していた。

今回は歩いてバスタに向かったのでそんなに感じなかったけれども、新宿駅からずっと屋根のある所を歩いて行けるので、非常に便利になったと思う。南口からであれば甲州街道を隔てた向かい側だし。あとは、昔はバスターミナルが点在していたのが一点集約されたのも大きい。名古屋側の発着は今回ささしまライブなのだけれども、名駅にもタワー乱立させなくて良いからバスターミナルを作ってくれ〜〜〜と思ってしまう。

バスの車両について

www.489.fm

今回乗り込んだのはさくら観光の@ライナースタンダート。きちんとした写真が撮れなかったけれども、リンク先のような感じ。車体後方にでかでかとアットマークが描いてあって、これがサービスエリアでの休憩時にとても助かった。東京-名古屋間はドル箱路線だからなのか、昼行バスなのに全席コンセント付きというのも素敵。あと無線LANまで使えて最高かよ!と思ってしまった。

これは使うしかない…ということでおもむろにノートPCを取り出して接続してみる。確認くんを見る限りではソフトバンクのモバイル回線らしい。そして発車直後で誰も繋いでいないだろうと思いつつ、スピードテストをしてみると…、まさかの下り300kbps…。ブラウザーの画像がじわ〜っと出てくるのを見たのは一体何年ぶりだろう…。1接続あたりの速度を制限しているのかもしれないけれども、テキスト中心で利用するならまぁ問題ないレベル。ただ画像や動画が多くなると使い物にならないので、そういう場合は自前のLTE回線を使った方が良さそうだ。

地獄の大渋滞

高速道路に入ると、早くも道路が混み始める。そして無情にも流れる渋滞情報のアナウンス。ここで漸く3連休の東名渋滞の酷さを思い出す。そうだ、バスだって東名を通るんだもんな…。そんなことを考えても後の祭り。まぁ時間にかなり余裕を持ってはいたので、2時間くらいの遅れならなんとかなるさと気楽に構えていた。

結果、2時間40分遅れ。静岡県内に入るまでに4時間掛かるってどういうこと…。

おまけに到着は名駅から南に1kmほど離れたささしまライブ。新幹線でないと会に間に合わないことは確実だったので、名駅まで全力疾走する羽目になってしまった…。幸か不幸か、自転車通勤と筋トレを続けているおかげで簡単にはへばらない。ギリギリの所で新大阪行きのひかりに滑り込めた。汗だくになったけれども…。

まぁ、そこまでには久々にインストールしたEXアプリの不具合でモバイルSuicaのIDをコピペするとエラーになる(手入力しか受け付けない)という残念な出来事があったのだけれども、それはまた別の話。JR東海のサポートセンターは頑なに不具合と認めなかったけれども、それはまた別の話、そう、別の話…。

彦根の定番

無事に結婚祝いの会を済ませ、いつものようにステーションホテルに宿泊。2日目は丁度たねやとクラブハリエの喫茶が開店する所だったので、久々に入ってみた。

東京だとバームクーヘンの専門店的な立ち位置になっているけれども、方や彦根はバームクーヘンがメニューから無くなっていた…。まぁ、何でも美味しいから良いかと思いケーキセットを注文。スイートポテトとクリームブリュレという彩りを考えない選択をするも、良い感じに飾ってくれて秋っぽくなっていた。彦根城の堀を眺めながらの優雅な朝食?だった。

養老線初乗車

帰りのバスは名古屋を夕方に出るので、それまで近場の鉄道を楽しもうと適当に時間を繰ると、樽見鉄道は厳しめ。あとは大垣から養老線を揖斐か桑名方面というのも未乗だったので、どうせ向かうのは名古屋なので桑名方面へ乗っていくことにした。

養老線は残念なことに、ここ最近車両の急激な東急化が進められていて、既に半数は東急のお下がりになってしまった。まぁ近鉄から継承した600系とその派生系列は、種車から数えれば還暦近い車両ばかりなので仕方ないことだとは思うけれども、個人的には東急も東急の車両も 禁則事項です なので残念極まりない。

そんな思いが通じたのか、桑名行きの列車は古き良きマルーンレッド単色の620系。幼少期に実家の庭から眺めていた近鉄電車の色だ。そしてお隣の揖斐行きはラビットカー塗装。昭和にタイムスリップしたかのような組み合わせだ。恐らくこんな貴重な光景を目にするのも最初で最後だろうと思いつつ、堪能させていただいた。

あとは、途中駅の待ち合わせでこんなコラボ車両も。キティーちゃんは本当にどんな所にでも来てくれる懐の深いお方である…。

その他、東急のお下がり車両だと赤帯、緑帯、緑歌舞伎と交換した。

名駅の定番

桑名からは流れで近鉄に乗車。2610系L/Cカー…東京だと座席指定料金を取られるような車両が20年以上前から平然と走っている近鉄沿線は、やっぱり凄い。まぁ、名古屋線は近鉄車両の最終処分場と言われているけれども…。それでも2ヶ国語の自動放送のような変化は少しずつ感じられる。

というわけで、名駅に着いたら行く所は山本屋本店一択。…が、今回は連休ということもあってか、エスカの山本屋本店が大行列。仕方ないので名古屋駅前店の方へ遠征してみた。

やはり冬場の麺類といえば味噌煮込みうどん。地元にいた頃は週1で食べていたけれども、東京ではなかなか食べる機会が無くて、山本屋総本家もいつの間にか都内で営業する店舗が無くなってしまった。というわけで、ついつい名駅へ来る度に堪能してしまう。

そして帰路へ

微妙な時間に昼食を取ったので、バスの中で食べる用の夕食は軽いものにしようと、近鉄名古屋駅構内の千寿にて天むすを購入。なお天むすは間違っても名古屋飯ではない。千寿の本店は津大門、歴とした三重のご当地グルメである!天むすを名古屋飯と呼ぶのは、赤福を名古屋名菓と呼ぶに等しいと肝に銘ずべし!!

…閑話休題。

帰路は比較的渋滞も穏やかで、10分程度の遅れでバスタに到着。大雨だったけれども、JRから私鉄地下鉄まで雨に濡れずにアクセスできるので、僕も副都心線の新宿三丁目駅まで傘要らずで辿り着くことができた。

おわりに

昼行バスでの長距離旅は初めてだったけれども、時間に余裕があれば安くそこそこ快適に移動できることがわかった。個人的にはやっぱり列車からの車窓が好きなのでバス派に転向することは無いけれども、東京-名古屋間のように列車も飽きたような地域の移動については使っても良いかなとは思った。

寿がきや カップ みそ煮込うどん 107g×12個

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令和最初のお伊勢参りと紀伊半島一周

夏といえば青春18きっぷ。18きっぷといえば長距離乗車の旅。というわけで、まだ令和になって神宮参拝していなかったこともあり、参拝ついでに紀伊半島を鉄道で一周する一人旅に出た。

今回の行程

今回の行程は8月29日(木)から9月1日(日)の3泊4日で移動距離は1471km。地図の通り、名古屋を中心に8の字を描くコースだ。この内一部区間のみ三セク経由でズルをしたけれども(後述)、ほぼJRの普通列車に乗車し、青春18きっぷを最大限に活用している。

リベンジ!中央西線

中央東線は2ヶ月前にも通ったので軽く流していく。問題は中央西線で、前回はまさかのトンネル火災で代行バスになったので、今回は何としてでも木曽山中を鉄路で駆け抜けたかった。

今回は平常通りの運行!中央東線の211系ロングシートでくたびれたお尻にとっては、中央西線の313系1300番台はありがたい。平日で空いていたこともあり、木曽川の見える進行方向右側に座って雄大な自然を満喫できた。ただ、寝覚の床が塩尻側からだと後ろを向かないと見えないことを完全に失念していて、チラッとしか見えなかったのは少し残念。

「何も無い」がある明知鉄道

恵那からは少し寄り道して明知鉄道に初乗車。来年から大河で騒々しくなりそうなので、今のうちに乗っておこうという算段だ。明知鉄道は車両こそ三セクお馴染みのNDCだけれども、路線の方は急勾配や急カーブ、そして美しい田園風景が有名だ。しかも鉄路以外に人工物が無い所が多く、こんな風景があちこちで見られる。

なお、終点の明智は文字通り明智光秀ゆかりの地…という体で激推ししているけれども、当時の明知城主は信長の野望クラスターにはお馴染みの遠山氏。肝心な明智氏はその頃可児へ移っているので、光秀自身は足を踏み入れたかどうかも怪しいという残念感。それでも折角なので「光秀プリン」なるものを、これまた町おこし感満載な施設である大正村浪漫亭の喫茶スペースで頂戴した。

でかいよ。屏風だよ。食べ方の極意とか書いてあるけど意識高いラーメン屋かよ。
なお、お味の方は豆乳仕立てでとてもあっさり。美味しゅうございました。

駅弁なのにガチの味噌カツ

明智に寄り道したので、名古屋からは18きっぱー的には禁じ手である快速みえに乗って伊勢へ向かう。なぜ禁じ手かというと、快速みえは途中の河原田-津間が三セクの伊勢鉄道経由で運行されているからだ。途中の鈴鹿は我が故郷でもあり、なぜこんな路線を特定地方交通線に…という恨み節は置いておいて、ここを迂回して亀山を経由すると翌日に響くので、510円を払ってチートした。

さて、夕食は折角なので名古屋駅で駅弁を購入。四日市を過ぎるまでは通勤客が多いし、鈴鹿前後で必ず伊勢鉄道の車内改札が行われるので、それが終わってからの御開帳だ。

これ、駅弁なのでそんなまともな味噌カツは期待していなかったけれども、やたらと味噌が美味い。よく見たら包装に思いっきり「カクキュー八丁味噌使用」と書いてあって、納得するしかなかった。カクキューといえば我が家でも味噌汁に愛用している八丁味噌の大定番だ。まさか駅弁であの味を堪能できるとは。

ちなみに、昨今は列車内での飲食について色々言われるようになってきているので断っておくと、快速みえは普通列車ではあるものの、全列車に指定席があって、座席は転換クロスシート、小さいながらもテーブルも付いている。おまけにカーテンは特急のようなプリーツ式という伊勢志摩観光仕様の豪華列車である。

…2両編成だけどね!!(4両の時も一応ある)

令和最初の神宮参拝は恵みの雨

伊勢に泊まって2日目は6時に起床しての神宮参拝だ。 しかし、外に出てみると大粒の雨。折り畳み傘では厳しいので宿近くのファミマで70cmの傘を購入。

外宮に着く頃にはしとしと降りくらいに収まっていたものの、空は暗く霞掛かっていた。…が、これはこれで雰囲気があって非常に良かった。今まで神宮参拝で雨に降られたことは一度も無かったので、これは神様が「雨の中参拝するのもええもんやで」と教えてくださったような気がする。

神宮参拝後のお楽しみ

神宮参拝後はおはらい町からおかげ横丁へ抜けて赤福本店へ行くのがいつもの道のり。だが今回は、一時は大人の事情で存在が抹消されかけていた碧志摩メグ(CV小松未可子)を発見!表現の自由は辛うじて死守されたようでほっこりした。

赤福本店では、夏場は赤福氷、冬場は赤福善哉を頂くのが通例。この縮尺の狂ったかき氷が空きっ腹を満たしてくれる感覚、神宮参拝を終えたなぁ〜という気がしてくる。

が、今回は前日の食事量が少なかったせいか、どうにも腹の鳴き声が止まらない。というわけで横丁を歩いていると、「焼き伊勢うどん」なる怪しすぎる食べ物?を発見。僕は善良な三重県出身者として伊勢うどんのことはうどんと認めていないので、ただの伊勢うどんに興味は無いのだけれども、さすがにちょっと気になって食べてしまった。

…まぁ、醤油は香ばしくて美味しかったよ…。麺のことは訊かないでほしい。
その後、口の中の醤油感を中和するために再び赤福本店へ足を運び、今度は普通の赤福を頂く。あれ?本店で普通の赤福食べたのってもしかして初めて…???

霧と晴れ間の紀勢東線

神宮参拝の後は一気に紀伊半島を南下。途中雨が降ったり止んだりしていたおかげで、山間を走る紀勢東線からは良い感じに霞掛かった景色を拝むことができた。また、紀勢東線は列車交換等での駅での長時間停車が多く、駅舎やホームをじっくり眺められるのも良い。ただし、間違って列車に置いて行かれると次は2時間後とかなので要注意である…。

なお今回は三瀬谷駅、三野瀬駅、尾鷲駅あたりで良い感じのご褒美長時間停車タイムを満喫できた。中でも尾鷲駅に至っては22分。駅を出てお土産を買って戻っても余裕だった。以前のダイヤだと紀伊長島駅に40分くらい停まる列車もあったけれども、どうなったのかな…。

ちなみに、尾鷲あたりからは晴れ間も見えてきて、霧と海との競演が良い感じだった。熊野灘の海と山が入り組んだ景色は、日本の原風景だと思う。

駅前B級スポットだらけの新宮

始発の多気からロングシートのキハ25形1000番台に揺られること4時間、漸く終点の新宮に到着する。実は熊野市から先は未乗区間なので、この辺りからは乗り潰し目的も入ってくる。新宮からはすぐの連絡で勝浦方面へ行けたのだけれども、まだ日没まで時間があるので少し散策することに。すると、駅から徒歩2分で異国情緒のある空間に。

この場所は徐福公園といって、秦の始皇帝の時代に日本へやってきた徐福という方士を記念する公園らしい。ただ、如何せん秦の時代とか昔すぎて伝承もあやふやだし、こぢんまりとした公園の中に入ってみても、開いているのかどうかも怪しい売店がぽつんとあるだけで中は閑古鳥だし、とても香ばしい雰囲気だった。

気を取り直して新宮城跡にでも登ってみるかと足を運んでみると、パチモンの復元天守みたいなのが見えてきたので、地図の方角的にも合っているからと近付いてみると、そこはなんと天理教の教会の建物。よりにもよって城跡の隣に建てるかよ…。

途中下車の散策でまさかディープスポットが連発するとは思わなかったので、個人的には面白かったけれども普通の旅の方は要注意だ…。本物の新宮城は石垣だけである。

1週間くらい滞在したい勝浦漁港

JR西日本お得意の魔改造によってメカメカしいお姿になった105系に揺られ、2日目の宿である勝浦へ向かう。ちなみに和歌山近隣の出身者にとって、勝浦といえば那智の勝浦だ。むしろ房総半島に同じ名前の勝浦があることは東京に出るまで知らなかった。

閑話休題。

勝浦、めっちゃ良い(語彙力…)。
元々田舎の漁港は好きなのだけれども、勝浦は生きた漁港でありながら過度な観光地化がされていなくて丁度良い感じがする。三崎や房総は東京から近いからあんな感じだけれども、勝浦は大阪からも名古屋からも地の果てという感じで、それでも特急が双方から走ってくるから何とかバランスを保っているのかもしれない。

というわけで、ビジネスホテルの扱いなのにオーシャンビューな宿に泊まり、

ここは奇をてらわずに王道のマグロ尽くしな食を満喫し、

食後の1時間は海風に当たってまったりと過ごし、

翌朝の漁師町は完全に昭和な空間。

今まで旅した中でも、町としてはトップクラスに良い場所だと思った。

まぁ、田舎ならではのおもてなしも受けたけれどもそれはご愛嬌で。

オーシャンビューのバーゲンセール

というわけで3日目。
紀伊田辺までは問答無用で105系N30のロングシート運用らしい。

ただし、車窓は見事を通り越して飽きるほどのオーシャンビュー。紀勢東線とは打って変わって穏やかな浜辺が多くなる。朝や夕方は海面に反射する日光で幻想的な雰囲気を味わえると思う。

紀勢西線の鉄事情

さて、紀勢西線は東線とは違って列車はバリエーション豊かだ。

105系に揺られた後は、紀伊田辺から御坊までの短い区間を113系N30改造車に乗車する。外装は見るも無惨だけれども、内装はN30なので座席周りは往時を偲ばせる貫禄がある。JR東日本や東海からは淘汰されてしまったけれども、もう暫く踏ん張ってほしい。

そして紀勢西線といえば花形特急のオーシャンアロー。今でこそくろしおの中に組み込まれてしまったけれども、283系の人気は健在。500系といい、JR西日本には不遇なスター車両が多いよな…。

そして御坊からは関空仕様の223系0番台。この辺りから車窓も街っぽくなってきて、日常に回帰した感が出てくる。

シメの和歌山ラーメンのはずが

紀伊半島一周のシメは和歌山ラーメン。のつもりだったのだけれども、立ち寄った近鉄地下の清乃というお店、「こってり和歌山ラーメン」の名でどろり濃厚なラーメンを出してくれる。これはこれで美味しかったのだけれども、和歌山ラーメンかと言われるとうーん?な感じかもしれない。まぁ、王道の和歌山ラーメンはあちこちにお店があるのでまた機会があれば立ち寄ろうと思う。

おわりに

この後は力尽きて大阪まで熟睡してしまい、疲れを予想した采配で慣れた彦根に宿泊、そして最終日は寄り道する体力も無くひたすら東海道線に揺られながら惰眠を貪ってしまった。

やはり3泊4日の鉄道旅は強行軍だったかと思いつつも、雨の神宮参拝も紀伊半島一周も、途中の立ち寄り含めて非常に楽しかった。そして期間中はずっと雨予報だったにもかかわらず、神宮参拝以外はほとんど雨に打たれなかったのはラッキーだった。

青春18きっぷでの旅は安宿と組み合わせると財布にも優しいので、これからも年に一度は満喫したいと思う。

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おまけ:Twitterのタイムライン

OB会に便乗した鉄道旅 2019

毎年6月は、母校のコンピューター系クラブからOB会のお誘いがあるので、参加させてもらっている。今までもこだまのグリーン早得を使ったり、マンネリ対策はしてきたのだけれども、今年は日曜開催ということもあり、思い切って在来線で前日入りしてみた。

一筆書き切符で少しお得に

JRの切符には乗車距離が長くなるほど運賃が安くなる。今回はその仕組みを利用して、往路は主に中央本線経由、復路は東海道本線・新幹線経由で切符を購入した。

ここで「太多・高山線」となっているのは、一筆書きの距離を伸ばすため。文字通り、一筆書き切符では原則として同じ駅を2度通過できないので、多治見から太多線・高山線経由で岐阜へ向かい、そこから東海道本線で回ってくるようにすることで、名古屋-岐阜間も一筆書きに含めることができる。あと、単純に太多線に乗ったことが無かったというのもある。

ちなみに、最終目的地が京都ならば草津から草津線・関西本線経由で名古屋まで出れば良いのでは?という疑問は尤もだ。というか、本当は僕もそうしたかった。けれども、OB会が終わってから草津経由で帰るとなるとその日のうちに東京まで辿り着くのが難しいので、泣く泣く諦めたのが真相だったりする。

あとは、名古屋から先は時間が足りなくなった時のために新幹線経由にしておいた。こうすることで、在来線も新幹線も選んで乗車することができる。

早朝の新宿から一路甲斐路へ

当日は新宿駅4:58発の高雄行き始発電車から始まる。土曜日の始発電車に乗ったのは初めてだけれども、まず歌舞伎町界隈から人がわらわらと駅へ向かっている時点で色々と覚悟完了した。案の定、新宿駅ホームは通勤ラッシュのような人混み。しかも酒臭い。1本ずらしても良かったかな…と思いつつも、八王子での乗り換えを優先して苦行に耐える。

八王子駅で途中下車して、駅舎と駅前をぶらっと見たり、軽食のおにぎりとお茶を買ったりしてホームで待つこと約30分。中央本線から115系が引退して久しいとはいえ、松本行きであればセミクロスシートの211系だろうと期待していたものの、やって来たのはオールロングシート編成の211系。6両なのは良いけれども、3時間以上もこれに乗るのか…。まぁ、中央本線は特急銀座なので、快適に過ごしたければ特急に乗ってねということか。

まさかの運転見合わせ

長野県に突入し、漸く乗り換えの塩尻駅かと思った矢先、不穏な車内放送が。曰く、中央西線でトンネル内火災のため、特急しなのが夕方まで運休するとのこと。夕方までとは穏やかではない。かといって茅野から飯田線で迂回するには時間が掛かりすぎるし、北陸経由ではJRの在来線が使えない。ひとまず塩尻駅へ向かって状況を確認することにした。

塩尻駅ではみどりの窓口に行列が出来ていて、駅員も総出で対応している大混乱の状況。とりあえず近くの駅員に相談してみると、名古屋・京都方面であれば東京まであずさで向かい、のぞみで向かうように案内しているとのこと。駅員から「ちなみにどちらから来られましたか」と訊かれたので、素直に「新宿からです」と答えたら、ずっこけられた。

代行バスが出る予定が無いかとも尋ねたけれども、どうにも歯切れの悪い回答だったので不思議に思ったけれども、そういえば塩尻駅は会社境界だったことに気付く。JR東海との境界駅で、東海管轄の駅は亀山のみ。つまり塩尻駅はJR東日本管轄なのだ…そりゃ要領を得ないはずだ。

というわけで、JR東海に問い合わせてみるも、「現時点で代行輸送について案内できることは無い」との回答。さてどうするかな…と思案し始めた矢先、塩尻駅から中津川駅まで直行の代行バスが出るとのアナウンスが。救われた…。

安心したら腹が減ってきたので、待合室に入っていた駅そばで腹ごしらえ。本当は塩尻では山賊焼きを食べたかったのだけれども、バスが来る時間もわからなかったのでサクッと。でもそこは信州。駅そばでも東京の適当な蕎麦屋より美味い。

代行バスで中津川へ

元々は10:54発の中津川行きに乗る予定だったのが、代行バスは11時に到着し、15分ほどしてから発車。とはいえ、直行なので長野道・中央道経由でかっ飛ばしてくれる。木曽山中の車窓と引き換えに久々の恵那山トンネルをくぐり抜け、中津川駅にはほぼ予定通りの13:55頃に到着。まさかその後の予定が狂わないとは思っていなかったので、僥倖だった。ありがとう、JR東海さん。まぁ、特急を使う予定だった乗客にしてみれば結構なロスになったのだろうけれども。

東海区間も座席運無し

中津川からの名古屋行き快速は、予想通りの211系。この区間で313系に乗れた例しがない。そして多治見からの太多線。ここは武豊線から転属してきたキハ75形で溢れているという印象だったし、キハ25形にしても転換クロスシートの1次車が多いと期待していたのだけれども…。

結果はキハ25形1000番台。まさかのオールロングシート。なのにすれ違う列車は全部キハ75形。どういうことなのよ…。

更に岐阜駅で乗り換えた米原行き新快速。こっちはさすがに5000番台か、そうでなくとも転換クロスシートが来るのは絶対だと信じて疑っていなかった。やって来たのは313系。見たところ方向幕なので、0番台かなと思いきや、まさかの3000番台ボックスシート!!

東海道本線の快速運用で3000番台???そんなのありか…と思いつつ、レアなので座ってみたものの、さすがに長旅で直角シートはきつい。ちなみに、後ろ4両はさすがにオール転換クロスシートだろうと思って覗いてみたら、1000番台だった。見たことないレア編成だ…。とりあえず混んでいたし、大垣で切り離される可能性も考慮して3000番台のボックスを1人で優雅に占拠。結局切り離されなかったけれども。

225系初乗車

米原駅で今までのアンラッキーをひっくり返してくれた225系100番台。0番台も含めて一度も乗れていなかったけれども遂に。正直な所、社内のLCD以外は顔といい座席の座り心地といい223系や221系の方が好きなのだけれども、一度乗りたかったので嬉しい。しかし顔が直角になった影響なのか、130km/hでかっ飛ばすと223系以上に凄い音がする。

総本店

さて、京都に着いてやるべきことはただ1つ。

数年ぶりの天下一品総本店。OB会が開かれるのは彦根だけれども、これだけのために京都まで更に1時間、そこからバスで50分揺られて北白川までやって来た。まぁでも、東京からの距離を考えれば彦根と京都なんて近所なのだ。

店は相変わらず繁盛していて5人ほど先客が並んでいたけれども、回転の速い中でもスープの濃度は相変わらずの特濃。本店でしか味わえないこの濃さ、わざわざ足を運ぶ価値を感じる。

最後の対面

翌日、OB会を終えて帰ろうとした所、後輩が名駅まで送ってくれると言うのでお願いすることにした。切符はあったけれども、万年通行止めの国道360号鞍掛峠が開通したというので、久々に通ってみたかったということで。そして、この判断は大正解だったと後で知ることになる。

駐車場へ向かう途中で近江鉄道の方を見てみると、そこには先月引退したはずのあかね号700系が!

今回の滋賀行きにはギリギリ間に合わず、5年前にお多賀参りで乗ったのが最後になってしまったと残念に思っていただけに、最後に顔だけでも見ることができたのは幸いだった。

締めのうどんを食べて東京へ

鞍掛峠を(安全運転で)攻めつつ名駅へ向かってもらい、エスカで後輩と山本屋本店の味噌煮込みうどんを堪能する。少し前までは東京でも「山本屋総本家」の方の味噌煮込みうどんを食べられたのだけれども、生憎閉店や休業で東京の店舗が全滅してしまったので、この機会に食べておいた。他にも東京で味噌煮込みうどんを食べられる店はあるけれども、やっぱり二大山本屋のような芯のある麺や濃厚な味噌出汁は本場で味わうのが一番だ。

最後の帰路は、のぞみの2桁台を狙って指定。JR西日本編成の「いい日旅立ち」チャイムを聴いて郷愁に浸りながらの東京帰着となった。

おわりに

マンネリ化を避けるために在来線切符を取ってみたら、予想外の展開が多すぎて刺激溢れる旅になって面白かった。他にも小ネタを挟んだツイート一覧は以下から。

趣味の一環としての土日に体を動かす習慣

ここ数ヶ月、体重が人生最高を記録していたので、さすがにメタボ対策を急がねばと土日に体を動かすことにした。ただ、ジムのような所は人が多くて辛いし更衣室の臭いに耐えられない。というわけで近場の街を散策することにした。

初週は歌舞伎町のホテル街や北新宿、百人町といったカオスな地域を歩いて回り、翌週は自転車で新宿御苑や代々木公園の周りをぐるり。そして今週は、徒歩から自転車と来れば鉄道だろうと、近場でまだ乗ってない路線に行くことにした。更に欲張って、沿線の社寺にも参ることに。

階段縛りと駅からの徒歩移動

体を動かすのに鉄道かよというツッコミはありそうだけれども、特に地下鉄や都市近郊の鉄道については「エスカレーターやエレベーターを使わない」という階段縛りを加えると、結構良い運動になる。

また、駅から目的地までの移動でもそこそこ歩くということもバカにならない。実際、今回の徒歩移動距離はGoogle先生によれば3.7km。結構歩いた。

東急世田谷線

というわけで、今回選んだ路線は東急世田谷線。鉄道というか、軌道だけれども。都内に残る軌道の片割れ、都電荒川線には早稲田-王子駅前間で乗車したことがあるけれども、こちらは初。

全線が専用軌道で駅もしっかりしているので、見ただけでは鉄道と区別がつきにくい。けれども走り出すと最高速度は40kmのノンビリ運転で、架線を見れば軌道っぽさがよくわかる。あと、今回は素通りしたけれども、途中で道路の信号を渡るのも味わい深い。

幸い、都電荒川線のような慢性的な混雑はこちらではそれほど感じられなかったので、都内で長閑な軌道路線を楽しむなら、こちらの方が穴場だ。

世田谷八幡宮

下高井戸から宮の坂まで戻り、駅前すぐに鎮座する世田谷八幡宮へ。

地元密着感のある神社でありながら、末社の周りに池があったり、立派な土俵が構えられていたりと、広々した境内で落ち着く。社殿では祈祷も行われていて、氏子さんからの崇敬も厚そうだ。周辺の町並みも閑静で、住みたいと思えてくるほど。

滋賀に住んでいた頃、家の前が建部大社で、唐橋を渡れば京阪の駅という似たような場所に住んでいたということもあるかもしれない。神社の近くに住みたい。住みたい。

豪徳寺

世田谷線で招き猫ラッピング車に当たったからというわけではないけれども。招き猫発祥の地、井伊家菩提寺の豪徳寺へ。世田谷八幡宮からは徒歩5分ほど。

まずは立派な松の参道に圧倒される。そして境内は井伊の家紋・旗印と猫づくし。御堂の屋根に家紋というのは、有力武家の菩提寺では王道ではあるけれども、彦根の龍潭寺ではそこまで押されていなかったので、雰囲気の違いを感じた。

一方で、招き猫はこちらが本家なのに、彦根の方で大人気になるという…。元彦根民としては複雑な心境である。ちなみに招き猫は写真に収まりきらず、この3倍くらいはいらっしゃるので圧巻である。三重塔にまで猫さんが彫られていたり、完全に猫寺である。

北澤八幡神社

豪徳寺駅から小田急で下北沢へ。豪徳寺界隈は閑静で、駅前の商店街も賑わってはいたけれども地元密着感があって良かったのに、下北沢の人混みは一体…。言うなれば竹下通りをもっとカオスにした感じか。

そんな煩悩空間を越えると急に閑静な住宅街になり、高台にそびえる地元密着感あふれる神社が。

麓は子供の遊び場になっていて、神社の境内で遊ぶ子供達という昔ながらの光景が垣間見える。中腹に神楽殿、最上部に本殿や末社が並んでいる。また、富士塚があって冬の天気の良い日であれば富士山もくっきり拝めるらしい。

おわりに

東京も場所を選べば人混みを避けつつ鉄分や社寺分を補給できることがわかったのは僥倖だった。おまけに良い運動にもなった。夕食後に3時間くらい寝落ちしたけれども…。

来週以降も毎週どこかを散策するという習慣は続けていきたい。なお、全ての行程ツイートは以下から。

南武線経由で立川へ

立川のシネマシティへ映画を観に行くのに、立川といえば南武線ということで、川崎へ出て本線系統を乗り潰すことにした。

東京駅と旅情

多くの田舎者にとって、東京駅というのは帰省の時にお世話になる駅だ。僕は最近とんと帰省はしていないけれども、学生時代や20代の頃過ごした滋賀にはちょくちょく帰っているので、東海道新幹線や東海道本線のホームに立つと「あぁ、この線路が向こうに繋がってるんやなぁ」という郷愁に浸れる。

まぁ、向かいのホームに停まっているのは113系ではなく常磐線E531系だし、やって来る列車も始発ではないし、上野東京ラインが開業して大きく変わった部分はあるけれども。そういえば、在来線の東海道線ホームに立ったのはかなり久々だった。

南武線初乗車

所変わって川崎駅。E233系8000番台とのご対面である。うっかり8500番台(中央線用0番台からの転用編成)に引っ掛かったらどうしようと思っていたけれども回避できた。

半自動扉のボタンが省略されていたり、扉上のディスプレイが16:9になっていたりという違いに加えて、JR西日本だとアーバンネットワーク外の田舎路線にありがちな「路線のシンボルマーク」が付いているのが味わい深い。

放射線と環状線

都市部の鉄道や幹線道路は大きく分けて、都心から郊外へ向けての放射線と、都心を中心とした同心円を描く環状線から成る。東京近郊でいうと中央線や西武新宿・池袋線等は典型的な放射線で、それらと交差する武蔵野線が環状線ということになる。

南武線は最初、放射線に近いのかと思っていた。起点が川崎で、そこから郊外へ向かっていくという印象だ。ところが、実際に乗ってみると環状線の性格も持ち合わせているように感じた。

典型的な放射線の場合、都心で大量の乗客を乗せて、郊外へ向かうにつれて徐々に閑散としていくし、沿線風景も徐々に長閑になっていくことが多い。一方で環状線は放射線との乗り換え駅毎に多くの乗降客があり、沿線風景もころころと変わる。

南武線の場合、川崎という一大ターミナルを出ると、いきなり住宅街を縫うように走る郊外私鉄のような路線に化ける。まぁ、そこまでは歴史ある旧私鉄なので想定の範囲内だった。ところが、武蔵小杉で大量の乗降客があり、そこから高架路線になって一気に都会の近郊路線の雰囲気を醸し出してきた。その後も武蔵溝ノ口や登戸、分倍河原等の乗換駅で多くの人が入れ替わり、その度に沿線風景にも大きな街が出てくる。ただ、徐々にではあるが郊外へ向かっているので、放射線と環状線のハイブリッド路線という感じだろうか。

立川初上陸

さて、立川に到着した。中央線で何度も通り過ぎているけれども、実際に降車したのは初めてだ。立川は多摩地域の中心駅ということで、周辺からやってくる人達が多いということだけれども、所見はさながら県庁所在地の中心駅という感じだった。岐阜や静岡あたりに近いだろうか。

それにしても、駅前を少し見渡すだけで伊勢丹、高島屋、ビックカメラ、ロフト、ニトリが立ち並んでいるのは凄い。おまけに少し歩けばIKEAや昭和記念公園まである。この駅周辺に全て詰め込んだ感は中々味わったことが無いので、一度住んでみると便利だろうなという気がする。

今回は駅の北側を中心に歩いたけれども、南側には天一や二郎もあるらしく、これはもう都心に出る必要はほぼ無さそうだ。人混みも都心と比べれば随分とマシだし、羨ましい。

まぁでも、都心に通勤するとなれば毎日地獄の満員電車は必至なので、会社が多摩地方にでも移転しない限りは住むことは無いだろうな。そこだけが残念な所である。

Next Stage

aikawame.hateblo.jp

モバイルSuicaのチャージエラーを解決するたった1つの方法

「〜たった1つの方法」系の話で実際に1つだったことってそんなにあったっけな〜と思いつつ、これについては本当にたった1つなので期待(絶望)してほしい。

結論から言うと、モバイルSuicaのチャージエラー(エラーコード1110)を解決するには、

コールセンターにひたすら延々鬼電し続けまくって奇跡的に繋がることを祈る!

これしか無いという知見を得た。

事の発端

ビックカメラSuicaカードと紐付けていたモバイルSuicaを退会し、改めてGoogle PayのSuicaに登録し直したのは、先の記事の通りだ。

aikawame.hateblo.jp

これで終われば良かったのだけれども、また問題が発生してしまった。Suicaのチャージが突然できなくなったのだ。

Suicaチャージがエラーコード1110で詰んだ

僕はGoogle PayにKyashカードを登録して、そこからSuicaにチャージしている。先日Suicaにチャージした際、Kyashの月間利用限度額がギリギリの状態であったせいか、エラーが発生してしまった。この時は瞬時にKyashの限度額のせいだろうと推察し、実際そうだったため、月が変わるまで待てば良いやと、放置していた。

ところが、月が変わって11月1日になっても、一向にエラーが解消しない。昼間になればもしやと思い、午後になって試してもやはりダメ。まさかと思い、もう1枚Google Payに登録している普通のクレジットカードでチャージを試してみると、これも同じエラーになる。こうなると自分ではどうしようも無さそうだ。

エラーの内容は、Suicaチャージに失敗した旨と、JR東日本のモバイルSuicaコールセンターに問い合わせよとの旨、そしてエラーコード1110というもの。表示されている電話番号に問い合わせるしか無さそうだ。

全く繋がらないコールセンター

取り敢えず会社の昼休みにコールセンターへ電話を掛けてみるも、話し中で全く繋がらない。自動応答でよくある「只今、大変混み合っており」ですらなく、「プーッ、プーッ、プーッ」でお馴染みの「話し中」で繋がらない。この時点で、嫌な予感がしてきた。

Google先生に尋ねてみると、案の定、JR東日本のコールセンターは繋がらないことで有名らしく、その手の検索結果が出るわ出るわ。

こういう時は、多少時間が掛かってもメールで問い合わせるに限るということで、JR東日本のメール問い合わせフォームを探す。

無い。

一応、「ご意見・ご要望の受付」というフォームはあるものの、「いただいたご意見などすべてにお返事できない場合もございますので、あらかじめご了承ください。」などと書いてあって、まともに問い合わせに応答する気配は薄い。一応ずっと電話が繋がらない場合の保険に投げてみたけど。

というわけで、最混雑時間を避けて15時台に再挑戦してみる。

モバイルSuica関連のコールセンターが他にもあるらしく、それも含めて何度か挑戦して、自動応答の所にまで到達できた。ただ、そこから幾ら待ってもオペレーターに繋がらない。さすがに仕事中に10分以上も席を外すのは微妙な気分だったので、諦めてTwitterに愚痴を吐いた。

すると…、

まさかのGoogle先生からリプライが。どう見てもBotかテンプレっぽいけど、まぁ試しに尋ねる価値はあるだろう。

優秀すぎるGoogle Payのサポート

リンク先のフォームに状況を記入して送信。すると、あろうことか30秒もしないうちにGoogleの方から電話が掛かってきた。神かよ。

オペレーターにフォームから問い合わせた旨を話すとすぐに理解し、状況を確認してくれた。通話料が掛からないので、確認中に保留にされても気にならない。

結論としては、Google側では問題が発生しておらず、JR東日本に問い合わせないといけないということだったけれども、そこの原因の切り分けはハッキリとしてくれた。その上、「手続きが煩雑なのであまりお勧めはしないが」という断り付きで、別のモバイルSuicaアカウントを用意するという手段があるにはあると提示してくれた。JR東日本にどうにも電話が繋がらないという点を理解した上で、何とか代替案を出そうとしてくれる所は大いに評価できる。

そんな訳で、何も解決していないのにGoogle先生のサポートセンターの優秀さに惚れてしまった。

絶対に頼ってはいけない駅の方々

職場からの帰宅中もコールセンターに鬼電するも、やはり話し中。

もしかしたら駅の係員であればエラーを解除できるか、コールセンターに繋がらない問題に対する回答を持っているかももしれないと思い、降りた駅の係員にも尋ねてみた(念の為、混雑していないことを確認してから)。

ただ、駅の係員で対応できるのは改札の出入りに関する不整合の対応くらいで、Suicaチャージに関する不具合はコールセンターに問い合わせるしか無いとのことだった。また、電話が繋がらない件について話しても、代替手段は把握していないとのことだった。みどりの窓口等の他の駅窓口でも受け付けられないとのことだ。

絶対に頼ってはいけないJR東日本お問い合わせセンター

ネットで検索すると、「JR東日本お問い合わせセンター」というのが出てくる。「JR東日本の列車時刻や運賃・料金、お忘れ物などのお問い合わせにご利用になれます。」と記載されているので、Suicaについては微妙かと思ったけれども「など」の中にSuicaが入っている可能性もゼロでは無かったので、藁にも縋る思いで電話を掛けてみた。

すると、なんと繋がった!!

ただ、状況を伝えると、3分ほど保留された上に、モバイルSuicaコールセンターでないと対応できないという膠も無い回答。そこが繋がらないんだけれども…と言っても、やはり代替手段は無いということだった。

奇跡的に繋がった

もうこれでダメならば本社に直接足を運ぶしか無いかと思いつつ、寄り道しながらモバイルSuicaコールセンターに鬼電すること10分、漸く自動応答が出てきた。自宅まで10分程の所だったので、家に着くまで待とうと思っていたら、残り2分程という所で奇跡的に繋がった。

この時は本人確認とエラーコードの確認、調査の上本日中に折り返すというあっさりした内容。何にせよ、漸く繋がったことには安堵したけれども、さすがに何十回も話し中を食らったことについては、強く改善を希望する旨上申してほしいということは言わせてもらった。僕も聖人ではないので、言うべきことは言わせてくれ。

コールセンターの意味とは?

さて、いよいよここからが今回の見所。1時間ほど経って、コールセンターから折り返しの電話が掛かってきた。オペレーター曰く、

「モバイルSuicaのシステム上で問題を検知してロックが掛かっていたため、解除した。今は正常にチャージできるようになっている、以上。」

え?それだけ?

というのが正直な感想だった。勿論、肝心な問題が発生した原因については尋ねたけれども、「セキュリティー上の都合で回答できない」とのことだった。契約者本人なのに原因を開示できないことについては謎だったけれども、具体的な原因は探れそうもなかったので、今回のような不具合を避けるにはどうすれば良いかと尋ねても、答えられないという。

何を訊いても答えてくれないし、単にロックを解除するだけなのならば、何十回もコールセンターに電話を掛け続ける意味って何だろう…。

それこそ、そんなに電話が好きなのであれば自動応答のメニューに「エラーコード1110でロックが掛かった場合の解除自動受付」でも追加すれば済むのではないか…。と思いつつ、今後も同様の不具合が突然発生することがあるのかと尋ねると肯定されたので、その場合はどうすれば良いのかと尋ねると、同様にコールセンターに問い合わせてほしいということだった。もう呆れ果てた。

おわりに

モバイルSuicaのチャージエラーでコールセンターへの問い合わせを案内されたら、ひたすら鬼電して繋がることを祈る。色々と模索してみたけれども、それしか無さそうだ。駅の係員や窓口では対応できないし、JR東日本お問い合わせセンターも電話するだけ無駄だ。そして少なくともエラーコード1110が発生した場合は、Google側ではどうしようも無いっぽい。

一応Google Payのサポートセンターからは別アカウント作成というウルトラCも案内されたけれども、残高がある場合の返金処理やら、アカウントの再作成やら、余計に面倒になるので現実的とは言い難い。

あとは、JR東日本がもう少しまともなサポート体制を構築してくれるか、ウルトラCでGoogle先生がモバイルSuicaのサービス毎巻き取ってくれるか、その辺りを期待する外ない。

ちなみに、僕はJR東日本の種々の問題については、経営側に起因するものが大きいと思っていて、現場の方々の多くは天下の鉄道網を支える責任感に溢れていらっしゃると思っている。そこは鉄道クラスターの端くれとして日頃から感謝している所なので、断っておきたい。

蛇足

今回の問題については、管轄の異なる所に問い合わせることで、問い合わせを受けた側が迷惑を被るという意見もあるかもしれない。ただ、そもそも問い合わせの手段が電話しか無く、その電話が繋がらない以上は同じJR東日本の窓口でどこか対応できる所を探すのは仕方の無い流れかと思う。最低でも電話の応答性を改善するなりメールフォームを用意するなりしない限りは、JR東日本の怠慢だとしか言い様が無い。

勿論、問い合わせを直接受けるのは現場の方々だけれども、彼らはJR東日本を代表して窓口に立っている方々なので、社としての課題については真摯に受け止めていただきたい。こちらとしても、実際にSuicaの処理を扱っている駅係員だったり、JR東日本の全般的な問い合わせを受け付けている窓口に対してのアプローチだったので、妥当性はあったと考えている。

そう言えば、結局電話が奇跡的に繋がったので本社凸はしなかったけれども、どうにも打開できずに本社凸した場合、対応してくれるのだろうか…。

少し興味はあるけれども、今回はここまで。現場からは以上です。