先の記事で少し自閉症スペクトラム障害(ASD)について触れた矢先に、とんでもない報道を見てしまった。
流石に他人事と思えなかったので、この報道の問題点や、実体験に基づくASD持ちの半生、そして同じ生きにくさを抱える人達への言葉を綴っていきたい。
何が問題か
これは昨晩の新幹線内で発生した殺傷事件に関する記事だが、元々の見出しは「新幹線殺傷:容疑者自閉症? 「旅に出る」と1月自宅出る」だった。
またかと思った。 センセーショナルな事件が発生した時に、事件と容疑者のマイノリティー性を紐付けて、その性質を事件の要因だと扇動するマスコミの常套手段だ。こういう時に真っ先に槍玉に挙げられるのは、アニメやPC等の趣味だけれども、今回は自閉症が大々的に取り上げられた。ただでさえ病歴というのは繊細な個人情報なのだから、容疑者の段階で大々的に報道するのはどうかと思う。その上、当該記事ではあからさまに事件と自閉症を結び付けようとしている。
こうした報道が止まない要因として、多くの人間は自分が所謂「普通」であって、事件を起こすような人間は「普通ではない」という壁を作って、自分は「こちら側」なのだと安心したいという願望がある。それをマスコミはよく理解していて、そういう人々の琴線に触れる記事を提供しているという側面は大いにあると考えられる。
ただ、ここで「普通ではない」とされた人達、今回であればASDや、古くはアニメやPCの愛好家からすれば堪ったものではない。一度こうした報道が世に出れば、「お前ASDだったよな、鉈とか持ってないよな」みたいに心無い言葉や偏見を投げ付けられることは容易に想像できる。というか、僕は実際にアニメやPC好きでもあるので、過去にこうした光景は何度も見てきた。
大多数の人間を安心させるというメリットを享受するために、一部の善良な人間を苦しめるというのが、こうした報道の大きな問題だ。
そもそもASD持ちはずっと苦しんできた
まず最初に、今回の殺人容疑については法に基づいて裁かれるという当然の前提を挙げておく。僕自身この事件に対しては、容疑者への擁護だとか非難だとかいう特段の感情は持ち合わせていない。その上で、容疑者が話したという「自分は価値のない人間だ。自由に生きたい。それが許されないのなら死にたい」という言葉には、とても思い当たる節があった。
全てのASD持ちがそうとは限らないが、少なくとも僕は小学校時代が地獄に思えた。
僕は当時、勉強については学年で指折りの優秀さだったので、テストで100点を取っては母から褒められた。「お前は偉い」と言われたから、僕はテストで満点を取ったら偉いんだと思って、クラスでも自慢した。小学校の1〜2年の頃は、周りの皆も素直に凄いね、偉いねと言ってくれていたと思う。
風向きが変わったのは、小3の頃だったと思う。担任の教師が変わった。その教師は、「人は皆等ですよ」とか、「差別はいけませんよ」とかいうことを常日頃から唱える人だった。その頃から、僕はクラスの中でよくからかわれるようになった。理由はわからなかった。
僕はある時、学級会で「嫌がらせをするのを止めてほしい」と声を挙げた。そしたら、ある同級生から「お前が自慢してくるのが悪い」という糾弾を受けた。教師から放課後に呼び出しを受けて、僕はこっぴどく叱られた。曰く、「お前には協調性が無いからもっと皆のことを考えろ」ということだった。
僕は皆が考えていることなんてわからなかった。ただ、「自慢したら先生から怒られる」ということは理解した。当時の僕にとって、親と教師の言うことは絶対だったので、僕は自慢を止めた。
僕に対するからかいは、恐らくいじめと言われるレベルまでエスカレートした。自慢を止めたのにいじめが酷くなる意味がわからなかった。何故そんなことをするのか、訊く度に僕の悪い所を指摘された。「字が綺麗なのがむかつく」とか、「運動音痴すぎてチームを負かした」とか、どうしようもない言い掛かりだった。
我慢できなくなると僕は教師に窮状を訴えたが、その度に「人のことも考えなさい、皆に合わせなさい」と言われた。僕は人の考えていることがよくわからなかったので、とりあえず人と関わることを避けるようになった。
親には何も相談できなかった。母はヒステリックで、ちょっと自分の気に入らないことがあるとすぐに怒鳴り散らすような人だったので、景気の良い話以外は怖くてできなかった。父は元々寡黙できちんと話をすること自体無かった。
こっちが人と関わるのを避けようとしているのに、学校でのいじめは無くならなかった。一度標的にされると、こっちがどんなに態度を改めても、嫌がらせは続くらしい。段々と学校へ行くのが嫌になってきた。こうしたことが卒業まで続いた。
よく不登校にならなかったなと思うけれども、これもASDの特性なのだろう。学校は行かないといけない場所という風に認識していたから、僕には不登校という選択肢が無かったのだ。
人生の分岐点
その後、幸いにも僕は中学でいじめの地獄から抜け出した。いじめの中心だった人物が転校したり他のクラスへ散らばったこともあるし、周りがある程度大人になったというのもあると思う。相変わらず言いたいことを直球で言ってしまう所は健在で、昼休みのJ-POP垂れ流し放送が喧しいと言って音量を下げたらクラスの所謂不良に絡まれたとか、そういう面倒事はあったけれども、周りの大多数は上手い具合に腫れ物扱いだけして関わらず、こちらも他人には極力関わらずで、丁度良いバランスを保てるようになった。
一番の転機は大学時代だった。電子計算機クラブといういかにもなクラブに入ったのだけれども、ここが所謂「腫れ物」の巣窟だった。多くの部員が人から後ろ指差されるような趣味や、精神の病や、暗い過去などを持っていた。そういう人達なので、他者の趣味や性格にはとても寛容だった。僕はクラブの中で普通で居られた。そこでは所謂「普通ではない」ことが普通だったのだ。
おかげでそれまで興味のかけらも無かったアニメやエロゲーの世界に引き摺り込まれたけれども、その後自らコミケ出展しているくらいなので、元々素質はあったのだろう。
閑話休題。
大学時代に曲がりなりにも対人関係を築けたおかげで、就職しても何とか猫を被りつつ仕事をこなせるようになった。エンジニアという、元々ASD率の高い職種という特性はあるけれども、多分あの大学時代が無ければ対人スキルがボロボロで厳しかっただろう。
そうでなくても、僕は未だに周囲から歯に衣着せぬ物言いだと言われたり、勉強会の後の懇親会が苦手だったりする。全てが対人関係というわけではないけれども、先の記事にも書いたように転職だって何度も経験した。それでもギリギリ社会でやって行けているのは、自分には対人関係を学習する機会を与えられたからだと、今でも感謝している。
同じ生きにくさを抱える人達へ
仮定の話に意味は無いかもしれないけれども、もし僕が中学でもいじめられていたら、大学で対人関係を築けなかったら、その後の人生はもっと辛いものだったかもしれない。下手をすると生きるのが辛すぎて自殺していたかもしれない。
だからこそ、僕達ASD持ちに限らず、所謂「普通」から爪弾きにされている人達には、そういう人達のコミュニティーがあるということ、そこは僕達を社会で生きていけるように導いてくれるクッションだということを知っておいてもらいたい。僕の経験上、所謂何らかのオタククラスターは、何かしら抱えている人の割合が高い。
あと、所謂「普通」の人達に「普通ではない」人達のことを理解してもらうのは難しい。彼らは大抵の場合悪意を持ち合わせていないし、出る杭が打たれるのは人の本質的な行動によるものだからだ。彼らのことは、「そういう生き物」くらいに思っておく方が気が楽になると思う。精々最初にジャブを打つ程度で、無理筋ならば早めに撤退した方が、不毛な遣り取りにならずに済む。
ASDというのは生きにくさ故に精神を病みやすい。そして病気ではないので死ぬまでその特性と付き合う必要がある。なので、社会に適合しようとする姿勢は素晴らしいが、自分に合ったコミュニティーを見付けること、合わない人や仕事からは距離を置くことを重視していくことで、それなりに生きていける環境を手に入れるというのも大事だと思う。
以上、中二病でASD持ちの鉄・社寺・アニオタエンジニアがお送りしました。