35歳からの中二病エンジニア

社寺・鉄道・アニメを愛でるウェブ技術者の呟き

「恵方巻き」文化圏の人間として思うこと

昨日は節分だったので、例によって太巻き寿司を食し、豆を撒いた。所謂「恵方巻き」文化圏ではごくありふれた節分の光景だ。今は東京に住んでいるけれども、物心ついた頃からの習慣として続けている。

ちなみに、そもそも地元では「恵方巻き」なんて呼び方は無かったみたいな話をし出すと長いので、ここでは触れないでおく。

*

正直、昨今の「恵方巻き」叩きについては苦々しく思っている。確かに、ここ数年コンビニやスーパーの「恵方巻き」ゴリ押しについてはやり過ぎだと思うし、廃棄後に飼料になるとかの事情を差し引いても、過剰供給は無駄であるし、販売ノルマのような問題も生み出している。そうした商業主義であったり、それを先導してきた一部企業は批判されてしかるべきだろう。

ただ、「節分に太巻き寿司を丸かぶりする」という習慣自体を揶揄する流れについてはどうにも納得がいかない。やれ由来が下品だの、創られた伝統だのと、罵詈雑言が飛び交うけれども、こっちからすれば子供の頃から毎年の伝統行事としてやっていることなのだ。渋谷のハロウィンのように地元民が迷惑するとかならともかく、各家庭でひっそりとやっていることに口を出される謂われは無いはずだ。

*

例えば、お雑煮と御節料理を食べると新年を実感する。例えば、桜餅を食べると春を実感する。僕らにとっての太巻き寿司も、食べると節分を実感するアイテムなのだ。ある人達にとっては、クリスマスケーキとフライドチキンもそうなのではないだろうか。

そうした食習慣に対して、クリスマスケーキはブッシュ・ド・ノエルであるべきだの、チキンでなくて七面鳥であるべきだの、そもそもキリスト教徒でもない者が云々とか文句を垂れるのは的外れだろう。知識として持っていることにはもちろん意義がある。ただ、由来云々は抜きにして、子供の頃からホールのクリスマスケーキとフライドチキンを食べてきた家庭で育ったのであれば、それが彼らにとっての伝統なのである。

*

とはいえ、その地域の内々でおとなしくしていれば良かったものを、全国にゴリ押しされたらいかんのだという点については理解できる。どこの企業が全国に広めようとしたのかは知らないが、地域性というのをもう少し考えてもらいたいものだ。コンビニの肉まんだって、近畿圏では豚まんとして、あんまんに至っては中身も大幅に変えて売っているくらいなのだから、地域の食習慣に合わせた商売はやろうと思えばできるはずだ。

今時は人気があるとなればネットで拡散する時代なのだから、企業は無用なゴリ押しをやめて真摯に商売してくれ。本当に頼む。

*

最後に。「伝統」という言葉を持ち出すと思考停止だと揶揄されがちだけれども、こっちはウェブ業界で日々新しい技術に向き合い、古いモノを壊している立場なので、「変わらない安心感」というアクセントも時には必要なのだ。何事もバランスである。

SALUS すし巻き 皮付 大

SALUS すし巻き 皮付 大