35歳からの中二病エンジニア

技術や時事ネタ、鉄道・社寺巡礼など趣味の話を綴ります。

中二病のすゝめ

会社の昼休みに同僚のエンジニア一同と弁当を食べていた時に、ひょんなことから中二病の話題になったので、ここぞとばかりに中二病患者として生きることの意義を説いてみたけれども、消化不良だったので再考しつつまとめてみる。そう言えばタイトルにまでしているのに言及したことがほとんど無かったし…。

そもそも中二病とは

最近はラノベの影響か、所謂厨二病という中二病とは似ても似つかない属性が台頭しているけれども、ここで言う「中二病」とは元来の意味の方を指す。思春期特有の症状で、「俺はあいつらとは違う」とか、「大人はみんな嘘吐きだ」とか、他人や世の中を斜に構えて見るようになり、後に黒歴史化するアレのことだ。

ちなみに、僕にとって最高の中二病的台詞は、「間違っていたのは俺じゃない、世界の方だ」という、某国の皇子による名言である。

なぜ大人になると治まるのか

一般的に、中二病は思春期を過ぎて大人になると治まると言われる。僕のようにおっさんになっても中二病を拗らせたままというのは稀有な例だろう。件の話題の中で、僕は大人になっても中二病を貫けば良いと言ったことに対して、興味深い意見を貰った。それは、「色んなものを敵に回して傷付きたくない」というものだった。

なるほど。思春期になると人は自我を確立して、そこから他人や世の中との衝突が生まれる。ただ、普通の人達はそこでカウンターを食らって傷付き、その経験から傷付かずに生きる術を身に付ける、つまり「大人の対応」が出来るようになっていくわけだ。

おっさん中二病患者の場合

翻って僕はと言うと、そもそも基本的に他人に興味が無いので、傷付けられる相手が居ない。興味のある相手が敵になるから上手く行かなくて傷付くのであって、興味の無い相手が敵になっても、と言うか興味の無い相手とは基本的に関わらないから、傷付きようがないのだ。小中学校の頃は、こっちが興味無いのに向こうが執着するから辟易したことはあったけれども、それは心が傷付くのではなくて、石ころに躓いて転んだような感覚に近い。

かくして傷付くことの怖さを知らずに大人になった人間は、中二病を拗らせ、良くも悪くもピュアな人間のままで居られるようになったようだ。

中二病のメリット

さて、それでは中二病のままで居ると何が良いのかと言うと、常にありのままで居られることによるストレスの無さだと思う。普通の大人は「大人の対応」をすることで自分を抑制する形となり、それがストレスとなっていくけれども、中二病ならば自分を押し通せるから、ストレスフリーで居られる。また、言いたいことを遠慮なく言う習慣が付くので、確固たる意思を求められる場所では活躍できると思う。

中二病に適した人

では、中二病に適合するのはどういう人かというと、鋼の心を持った打たれ強い系と、僕のような他人に興味無い系あたりではないかと思う。ただ、前者は実際に居るのかどうかわからないけれども、他人への興味を持ったままカウンター中二ビームを食らい続けるというのはドMの成せる技としか思えないので、中々に難易度は高い気がする。後者は多分普通に居る。

おわりに

ここまで書いてみて、大人の中二病というのは実はASDの側面を含んでいるのではないかという気がしてきた。だとすれば僕が幾ら中二病患者として生きる意義を説いた所で、「だったら私も今日から中二病患者になる!」という真似も出来ないわけで、とても残念である。願わくは、この適当な予感が外れて、色々な形の大人な中二病患者が世に蔓延っていることを切に祈りたいと思う。