35歳からの中二病エンジニア

社寺・鉄道・アニメを愛でるウェブ技術者の呟き

シネマシティの極上音響上映はどこまで凄いのか・誓いのフィナーレ編

aikawame.hateblo.jp

シネマシティの音に衝撃を受けてから半年。

響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~の極上音響上映が始まった。これほどシネマシティの極上音響上映を味わうのに御誂え向きの作品も無いだろうと、いそいそと予約を試みるも、2週間限定上映のためか、「遅れユーフォ」にも関わらず大人気。それでも良い席を確保できたのは僥倖だった。というわけで、前回と同じシネマ・ツーのa studioでの極上音響上映に足を運んだ。多摩モノレール経由で

ちなみに、音に関する部分はかなり主観が混じるので、あくまで一意見ということを先に断っておきたい。人によって感じ方はそれぞれだと思うので、それらを否定するつもりは全く無い。

通常上映との違い

結局の所、今回一番気になったのはここだ。前回、a studioの音響については既に味わっているけれども、それがベテラン音響家による調整と制作スタッフ直接監修でどこまで変わるのか。

結論から言えば、正直な所大きな違いは感じられなかった。いや、映画館の音としては確かに素晴らしい。新宿のバルト9やピカデリー、TOHOシネマズのような普通の映画館とは全く比べものにならないような解像度の音が耳に飛び込んでくるのは間違いない。そして、吹奏楽を映画館のハコで鳴らす上での綿密な調整が行われているであろうことは肌で感じられる。

ただ、それでも「いかにもアンプを通した感のある音」であって、通常上映でも感じたこの大きな不満だけは解消されなかったのが残念な所だ。具体的には、合奏の音量がピークになる所は音が歪んで大味に聴こえる。あとシネマシティの音に慣れたせいか、人の声がやっぱり少し不自然に聴こえる。全体的にはかなり良いんだけどなぁ…。

シネマシティの上映区分に思うこと

シネマシティの上映区分は現在、次のようになっている。

  • 通常上映
  • 爆音上映
  • 極上音響上映
  • 極上爆音上映

この区分を見るに、極上音響と極上爆音は分けられているのだから、極上音響は純粋に良い音を楽しめるよう、多少迫力を犠牲にしてでも音量を下げて音の歪みを抑えてはどうかと思う。

そんなことをしたら吹奏楽の魅力でもある繊細なタンギングが〜みたいな心配については、劇場で聴いた限り大げさすぎるくらいだったので、多少音量が下がっても問題無いと思う。環境音も若干大きいように感じられたし。

とにかく、高音質かつ迫力を求めるならば極上爆音、ひたすら高音質を求めるのであればもう少し小音量の極上音響という棲み分けをしてくれると、Hi-Fiオーディオで映画やアニメを観るようなガチ勢も取り込めるのではないかと思うのだが、いかがだろうかシネマシティさん。

おわりに

とはいえ、僕がオーディオ好きの中でも生々しい音を求める異端者だという自覚はある。普段アニメ鑑賞に使っているスピーカーがコレなので、迫力はともかく音の生々しさで超えてくる環境を作るのは、まぁまぁ難しいとは思う。

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それでも、前回も触れたようにシネマシティの音響機材のポテンシャルは半端ないのだから、適度な音量であればHi-Fiオーディオのような透明感と立体感を得られると思う。シネマシティさんにおかれては、その音へのこだわりが凄いことはよくよく理解しているつもりなので、今後も更なる高みへ挑戦し続けてくれることを切に願いたい。

あ、映画の感想忘れてた…。えーと、北宇治高校っぽさ全開ですわー(褒め言葉)。

多摩モノレール経由で立川へ

立川のシネマシティへ(再び)映画を観に行くのに、立川といえば南武線多摩モノレールということで、多摩センターへ出てから全線走破してみた。

副産物としての小田急全線走破

小田急については小田原線と江ノ島線は全線走破していたのだけれども、多摩線だけは全くの未乗区間だった。だって終点唐木田って…多摩ニュータウンですよ?人しか住んでませんよ?みたいな印象しか無かったので、行ってどうするの感が半端なかったのだ(失礼)。

というわけで、何の感慨も無く小田急全線走破。でも良く考えてみると、大手私鉄の全線走破はこれが人生初だったりする。うーん、どうせならもう少し場末感が欲しかったなぁ。

多摩ニュータウンを歩く

上映まではかなり時間があったので、唐木田駅から多摩モノレールの発駅である多摩センター駅までは歩くことにした。

多摩ニュータウンの中でも唐木田地区は平成に入ってから入居が始まった所なので、街がとにかく新しい。そしてこんな街にまであるコメダ珈琲店。誰も居ないちょっと広めの公園もあったりと、都心の人口密度を思えば天国のような場所ではある。空気も良いし。

と、暫く歩けば多摩センター。多摩モノレールの先にある丘陵にはいかにもニュータウンという感じの集合住宅群。そして…、鄙びたラブホテルの看板に、…神田川?一瞬都心へワープしたのかと思ってしまうくらいの貫禄があってすごい。ニュータウンも時が経てば…ということか。

多摩モノレール

多摩モノレールは運転席の後ろに進行方向へ向いた4席が並んでいて、小さなお友達にも大きなお友達にも大人気だ。ただ、当日は生憎の空模様もあってか席に座ろうとする人が居なかったので、ありがたく座らせてもらった。

このモノレールの魅力については、写真よりも実際に乗ってみないとわからない部分が多いだろうなという感想だった。というのも、勾配がもの凄い。鉄道では絶対に不可能な山中の傾斜をスイスイとクリアしていく様は、普通鉄道では絶対に味わえない魅力だろう。あと、多摩センター側と立川側の風景の落差も面白い。

一つだけ気になったのは、車内が異様なほどに喧しいということだろうか…。わざわざ警告が掲示されているくらいなので常習的なのだろう。学生から家族連れまでとにかく喧しい。別に都営大江戸線みたいに走行音が酷いとかではないのだから、もう少し小さな声でも届くと思うのだけれども、広大な土地に住んでいると人の声というのは大きくなるのだろうか。

おまけ:立川グルメ

第二楽章

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上撰の旅 多摩―モノレール沿線・八王子・高尾・所沢 新選組の故郷を訪ねて

上撰の旅 多摩―モノレール沿線・八王子・高尾・所沢 新選組の故郷を訪ねて

今期完走したアニメ達 2019春

今期は覚悟していたとはいえ、久々の大不作だった。そんな中でも面白い作品は凄く面白かったので、懲りずに書いていく。

キャロル&チューズデイ

caroleandtuesday.com

2期連続で+Ultra枠から。カウボーイビバップが好きなおっさんには渡辺信一郎監督と火星が舞台というだけで来るものがある。話の方向性は全く違うけれども、軽快なコメディーシーンを挟みつつ重厚な物語を綴っていくのはさすがの一言。あと音楽に気合い入りすぎ。めっちゃ金掛けてるんやろなぁ…と思うのは無粋な気もするけれど、これくらい音に振り切った作品があっても良いと思う。

八十亀ちゃんかんさつにっき

yatogame.nagoya

今期のダークホース。東海三県の生まれなのでネタがわかるというのもあるけれども、ご当地愛がすごい。あとEDに全キャストの出身地を入れたりとか、ED後に活命茶とかのご当地CMを入れたりとか、本物の市長を出演させたりとか、終いには最終話をCV:戸松遥の燃えよドラゴンズで締めたりとか、いちいちツボを突いてくる。しかしジャパレンが東海ローカルだったのはショックだ…。

どうでも良いけど公式サイトのドメインが.nagoyaになっとるがね…。

どろろ

dororo-anime.com

本当に原作は昭和の作品なのか…?というのが正直な感想。終盤へ向かう所の伏線がえげつなくて、陸奥と兵庫が負傷した辺りで何となく違和感はあったものの、最後の戦いに出てきた時はさすがに背筋が震えてしまった。登場人物軒並み業が深すぎる。原作では多宝丸は早くに退場していて、しかもきちんとした完結もされていない作品なので、この辺りはほぼオリジナルなのだろうけれども、MAPPAの制作陣が凄いのか綺麗な完結を迎えている。

ワンパンマン(第2期)

アニメ制作がマッドハウスからJ.C.STAFFに変更という不安要素はありつつも、何とか乗り切った感がある。確かに作画は1期と比べるべくもないけれども、引きの巧さや全体的な構成については1期よりも良かったと思う。原作が面白かったからなのかもしれないけれども。ガロウが出てきて単なるアクションコメディーから群像劇的な性格を帯び始めて好みの作品になりつつある。

この音とまれ!

スラムダンクの文化部版というとちはやふるが真っ先に思い浮かぶのだけれども、こっちはもっと露骨にスラムダンクだったので少し苦笑いしてしまったのが正直な所。とはいえ、王道故の安定感というのがありつつ、心情表現の巧さが光る部分もあって、引き込まれる作品だ。あとは主人公のクサくて熱い台詞が止まらないのがすごい。

新幹線変形ロボ シンカリオン THE ANIMATION

最高に面白かった作品がまさかの打ち切り…。第2部が始まって新しいシンカリオンや合体が出てきて、キャラの髪型まで変えてきて、もういっぺん楽しむぞ!…と思っていたらジェットコースターみたいなスピードで最終回に辿り着いてしまった。それでも何とか無理繰り物語として大きく破綻させずに終わらせた制作陣には敬意を表するけれども、打ち切ったテレビ局は日本中の小さなお友達と大きなお友達からの非難を甘受すべし。

番外編:冴えない彼女の育てかた(再)

再放送だけれども、もうアニメだけで5周くらいしているけれども、何度でも観てしまう傑作。劇場版に備えて1期・2期をもう一度おさらいということで観ているけれども、何度観ても9話の校庭で涙腺崩壊するし、全編を通してニヤニヤが止まらない。あときよのんとかやのんが尊い。最初はテンプレヒロインものを逆手に取ったイロモノかと思っていたけれども、掛け合いが面白すぎてすっかりスルメ作品になっている。

おわりに

前期の時に不作の予感はしていたけれども、的中しすぎて再放送作品まで入れてしまった。来期も「これは何としても観たい!」とまで思わせる作品が少ないので、引き籠もっていないで外に出ろという神様の思し召しなのかもしれない。とりあえずは彼方のアストラとソウナンですか?に期待しておく。

TVアニメ「どろろ」Blu-ray BOX 上巻

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OB会に便乗した鉄道旅 2019

毎年6月は、母校のコンピューター系クラブからOB会のお誘いがあるので、参加させてもらっている。今までもこだまのグリーン早得を使ったり、マンネリ対策はしてきたのだけれども、今年は日曜開催ということもあり、思い切って在来線で前日入りしてみた。

一筆書き切符で少しお得に

JRの切符には乗車距離が長くなるほど運賃が安くなる。今回はその仕組みを利用して、往路は主に中央本線経由、復路は東海道本線・新幹線経由で切符を購入した。

ここで「太多・高山線」となっているのは、一筆書きの距離を伸ばすため。文字通り、一筆書き切符では原則として同じ駅を2度通過できないので、多治見から太多線・高山線経由で岐阜へ向かい、そこから東海道本線で回ってくるようにすることで、名古屋-岐阜間も一筆書きに含めることができる。あと、単純に太多線に乗ったことが無かったというのもある。

ちなみに、最終目的地が京都ならば草津から草津線・関西本線経由で名古屋まで出れば良いのでは?という疑問は尤もだ。というか、本当は僕もそうしたかった。けれども、OB会が終わってから草津経由で帰るとなるとその日のうちに東京まで辿り着くのが難しいので、泣く泣く諦めたのが真相だったりする。

あとは、名古屋から先は時間が足りなくなった時のために新幹線経由にしておいた。こうすることで、在来線も新幹線も選んで乗車することができる。

早朝の新宿から一路甲斐路へ

当日は新宿駅4:58発の高雄行き始発電車から始まる。土曜日の始発電車に乗ったのは初めてだけれども、まず歌舞伎町界隈から人がわらわらと駅へ向かっている時点で色々と覚悟完了した。案の定、新宿駅ホームは通勤ラッシュのような人混み。しかも酒臭い。1本ずらしても良かったかな…と思いつつも、八王子での乗り換えを優先して苦行に耐える。

八王子駅で途中下車して、駅舎と駅前をぶらっと見たり、軽食のおにぎりとお茶を買ったりしてホームで待つこと約30分。中央本線から115系が引退して久しいとはいえ、松本行きであればセミクロスシートの211系だろうと期待していたものの、やって来たのはオールロングシート編成の211系。6両なのは良いけれども、3時間以上もこれに乗るのか…。まぁ、中央本線は特急銀座なので、快適に過ごしたければ特急に乗ってねということか。

まさかの運転見合わせ

長野県に突入し、漸く乗り換えの塩尻駅かと思った矢先、不穏な車内放送が。曰く、中央西線でトンネル内火災のため、特急しなのが夕方まで運休するとのこと。夕方までとは穏やかではない。かといって茅野から飯田線で迂回するには時間が掛かりすぎるし、北陸経由ではJRの在来線が使えない。ひとまず塩尻駅へ向かって状況を確認することにした。

塩尻駅ではみどりの窓口に行列が出来ていて、駅員も総出で対応している大混乱の状況。とりあえず近くの駅員に相談してみると、名古屋・京都方面であれば東京まであずさで向かい、のぞみで向かうように案内しているとのこと。駅員から「ちなみにどちらから来られましたか」と訊かれたので、素直に「新宿からです」と答えたら、ずっこけられた。

代行バスが出る予定が無いかとも尋ねたけれども、どうにも歯切れの悪い回答だったので不思議に思ったけれども、そういえば塩尻駅は会社境界だったことに気付く。JR東海との境界駅で、東海管轄の駅は亀山のみ。つまり塩尻駅はJR東日本管轄なのだ…そりゃ要領を得ないはずだ。

というわけで、JR東海に問い合わせてみるも、「現時点で代行輸送について案内できることは無い」との回答。さてどうするかな…と思案し始めた矢先、塩尻駅から中津川駅まで直行の代行バスが出るとのアナウンスが。救われた…。

安心したら腹が減ってきたので、待合室に入っていた駅そばで腹ごしらえ。本当は塩尻では山賊焼きを食べたかったのだけれども、バスが来る時間もわからなかったのでサクッと。でもそこは信州。駅そばでも東京の適当な蕎麦屋より美味い。

代行バスで中津川へ

元々は10:54発の中津川行きに乗る予定だったのが、代行バスは11時に到着し、15分ほどしてから発車。とはいえ、直行なので長野道・中央道経由でかっ飛ばしてくれる。木曽山中の車窓と引き換えに久々の恵那山トンネルをくぐり抜け、中津川駅にはほぼ予定通りの13:55頃に到着。まさかその後の予定が狂わないとは思っていなかったので、僥倖だった。ありがとう、JR東海さん。まぁ、特急を使う予定だった乗客にしてみれば結構なロスになったのだろうけれども。

東海区間も座席運無し

中津川からの名古屋行き快速は、予想通りの211系。この区間で313系に乗れた例しがない。そして多治見からの太多線。ここは武豊線から転属してきたキハ75形で溢れているという印象だったし、キハ25形にしても転換クロスシートの1次車が多いと期待していたのだけれども…。

結果はキハ25形1000番台。まさかのオールロングシート。なのにすれ違う列車は全部キハ75形。どういうことなのよ…。

更に岐阜駅で乗り換えた米原行き新快速。こっちはさすがに5000番台か、そうでなくとも転換クロスシートが来るのは絶対だと信じて疑っていなかった。やって来たのは313系。見たところ方向幕なので、0番台かなと思いきや、まさかの3000番台ボックスシート!!

東海道本線の快速運用で3000番台???そんなのありか…と思いつつ、レアなので座ってみたものの、さすがに長旅で直角シートはきつい。ちなみに、後ろ4両はさすがにオール転換クロスシートだろうと思って覗いてみたら、1000番台だった。見たことないレア編成だ…。とりあえず混んでいたし、大垣で切り離される可能性も考慮して3000番台のボックスを1人で優雅に占拠。結局切り離されなかったけれども。

225系初乗車

米原駅で今までのアンラッキーをひっくり返してくれた225系100番台。0番台も含めて一度も乗れていなかったけれども遂に。正直な所、社内のLCD以外は顔といい座席の座り心地といい223系や221系の方が好きなのだけれども、一度乗りたかったので嬉しい。しかし顔が直角になった影響なのか、130km/hでかっ飛ばすと223系以上に凄い音がする。

総本店

さて、京都に着いてやるべきことはただ1つ。

数年ぶりの天下一品総本店。OB会が開かれるのは彦根だけれども、これだけのために京都まで更に1時間、そこからバスで50分揺られて北白川までやって来た。まぁでも、東京からの距離を考えれば彦根と京都なんて近所なのだ。

店は相変わらず繁盛していて5人ほど先客が並んでいたけれども、回転の速い中でもスープの濃度は相変わらずの特濃。本店でしか味わえないこの濃さ、わざわざ足を運ぶ価値を感じる。

最後の対面

翌日、OB会を終えて帰ろうとした所、後輩が名駅まで送ってくれると言うのでお願いすることにした。切符はあったけれども、万年通行止めの国道360号鞍掛峠が開通したというので、久々に通ってみたかったということで。そして、この判断は大正解だったと後で知ることになる。

駐車場へ向かう途中で近江鉄道の方を見てみると、そこには先月引退したはずのあかね号700系が!

今回の滋賀行きにはギリギリ間に合わず、5年前にお多賀参りで乗ったのが最後になってしまったと残念に思っていただけに、最後に顔だけでも見ることができたのは幸いだった。

締めのうどんを食べて東京へ

鞍掛峠を(安全運転で)攻めつつ名駅へ向かってもらい、エスカで後輩と山本屋本店の味噌煮込みうどんを堪能する。少し前までは東京でも「山本屋総本家」の方の味噌煮込みうどんを食べられたのだけれども、生憎閉店や休業で東京の店舗が全滅してしまったので、この機会に食べておいた。他にも東京で味噌煮込みうどんを食べられる店はあるけれども、やっぱり二大山本屋のような芯のある麺や濃厚な味噌出汁は本場で味わうのが一番だ。

最後の帰路は、のぞみの2桁台を狙って指定。JR西日本編成の「いい日旅立ち」チャイムを聴いて郷愁に浸りながらの東京帰着となった。

おわりに

マンネリ化を避けるために在来線切符を取ってみたら、予想外の展開が多すぎて刺激溢れる旅になって面白かった。他にも小ネタを挟んだツイート一覧は以下から。

花粉症根治を目指して舌下免疫療法を始めた

東京に出てきて以来、マスクさえ着けていれば花粉症に悩まされることは少なくなったと思っていたが、ここ最近はマスクを着けても辛い時期が出てきた。

花粉症は仕事や日常生活にも大きな支障が出てしまうので、ここらで根治を目指そうかと舌下免疫療法(減感作療法)を始めることにした。療法についての詳しい内容は専門のサイトが幾らでもあるので、ここでは実際にやるぞとなってからの流れや、素人的に気になったことを書いていきたい。

舌下免疫療法とは

一応ざっくりと触れておくと、アレルゲンを含む治療薬を舌の下に1分間保持して飲み込む。これを原則1日1回、3年以上続けるというものだ。治療期間中は、月に一度は受診する必要があるが、普段は自宅で薬を服用する形となる。対象となるアレルギーは、2019年時点ではスギ花粉とダニのみ。

掛かる費用は診察代と薬代を合わせて、3割負担で5〜6万円ほどになると予想される。まぁ3年分なのでこれくらいになるのは仕方ない。ちなみに、梅雨真っ只中のこんな時期に始めたのは理由があって、12月から5月までは花粉への過敏性が高くて始められない(病院で受け付けてもらえない)ため。

対応医療機関の受診(初診時)

舌下免疫療法は保険適用となってから5年と日が浅く、まだまだ対応している医療機関は少ない。僕の場合は幸いにも近所の耳鼻咽喉科クリニックが受け付けていたため、そこを受診することにした。

血液検査

医師に舌下免疫療法を始めたいと伝えると、「少なくとも3年は取り組む必要があるが大丈夫か」と念を押された。やはりこの療法の一番のネックは、3年という治療期間なのだろう。そりゃ1アージュなんていう単位も生まれるくらいだもんな。

そこは覚悟の上だったので了承すると、血液検査となる。僕の場合は過去に何度かスギ花粉アレルギーの判定を受けているけれども、当日の検査は必須だった。看護師の方に「採血は必要ですが、既にアレルギー判定を受けられているのであれば多分大丈夫だと思います」と言われたけれども、大丈夫でないことに対して大丈夫というのも不思議な感覚だなぁと心の中でツッコミを入れてしまった。

チェックシートの確認

血液検査に続いて、治療を開始するにあたってのチェックシートを看護師の説明を受けながら確認していく。今回服用するのは鳥居薬品の「シダキュア」という薬。2018年に発売された新しいものらしく、他にも舌下免疫療法の治療薬はあるけれども、薬の種類についての説明は特に無かった。

確認項目は、治療の期間や受診等に関すること、薬の取り扱いや服用に関すること、そして副作用に関することが十数項目。特に副作用に関する注意事項は念入りに説明された。口や喉、耳などのかゆみや不快感がわりと多く表れるという点については、僕は甲殻類や果物のアレルギーがあるため、「あぁ、あれか」という感じで理解できたけれども、まぁ気分の良いものではない…。あと、重大な副作用としてはアナフィラキシーおよびショックがあるということ。これはアレルゲンを摂取する以上どうしようもない。

口内炎だと薬を服用できない!?

このチェックシートの確認中に、気になることを言われた。「重い喘息症状のある時」と「口内炎のある時」は薬の服用を控えるようにというのだ。僕は喘息持ちではないけれども、口内炎については1年の1/3くらいはどこかしらできているくらいヘビーな口内炎持ちなので、どうにも気になって医師に確認してみた。

医師によれば、口内炎のある時に薬を服用すると、患部にアレルゲンが触れることでアナフィラキシーのリスクが高まるとのことだった。口内炎の部位によっても、舌下の薬を保持する付近であるほどリスクは高いということで、常日頃から口内炎のあるような場合はリスクを理解した上で様子を見つつ服用するか、やめるかの選択となるということだった。

一瞬迷ったけれども、最悪アナフィラキシーショックが起こるのはこの療法を選択する以上避けられないので、最終的に了承した。

初回投薬時の受診予約

他の病院がどうしているかはわからないけれども、この病院では初回のみ医師が投薬し、30分後に副作用の発現有無を確認することになっていたため、その予約を取った。

最初の1週間分の薬はこの時に処方されるので、帰りに薬局で薬を受け取るのだけれども、この薬は一旦保管し、初回投与時に病院へ持って行くことになる。忘れそうでちょっと怖いので鞄の中に入れておいた。

患者携帯カードの交付

後は投薬をやっていくだけかと思いきや、とんでもない落とし穴が待っていた。

診察後の受付で、舌下免疫療法の「患者携帯カード」を渡されてしまった。しかも「常に携帯すること」とのこと。アナフィラキシーショックを起こすリスクがあるためということだが、いやいやいや…そういうことは先に言ってほしかった。

まぁ、携帯するカードが1枚増えた所で文句を言う人なんていないのだろうけれども、僕にとってはカード1枚とか大事なので…。とはいえ、医療機関側としては患者にカードの携帯を指導する義務があるのだろうから致し方ない。スマートフォンの裏にでも貼り付けておくかな。

対応医療機関の受診(初回投与時)

医師による初回投与

いよいよ治療が始まる。案の定と言うべきか、特大の口内炎が上唇にできていたので医師に伝えると、塗り薬を塗布してくれた。あと、先日の血液検査の結果ももらった。結果は重傷の入り口であるクラス4…この数値はここ10年くらい変わっていない…。

薬の投与自体は、口を開けたら医師がぽーんと舌下に薬を置いて、あとは口を閉じて1分待つだけ。1分経ったら飲み込むように言われるので、ごっくん。終わり。薬の味もほんのり甘く感じるくらいでほとんど気にならない。何とも呆気なかった。

出るや出ざるや副作用

それから30分待合室で待ちぼうけ。こればかりは副作用の出現確認なのでどうしようもない。

何もしないと落ち着かないので本を読んでいたけれども、口の中は一向に痒くなる気配が無い。絶対にあの不快感を味わうのだろうと諦めていたけれども、どうしたのか…。

結局、30分経ってからもう一度医師の診察を受けたけれども、口内は全く異常無し。ただ、これは個人差あるらしく、僕は偶然何も無かったけれども、やはり口内が腫れたり痒くなったり、喉がいがいがする人は居るらしい。

あとは2週間目以降の薬(初週の薬よりも高用量になる)を処方されておしまい。かと思いきや、僕は副作用こそ出現しなかったものの、口内炎が厄介ということで医師からビタミン剤も合わせて処方されてしまった。うぅ…只でさえ3年掛かる薬代が更にお高くなるのか…。

その後の経過

その後1週間は低容量の薬を飲み続け、いよいよ高用量のものに移行したけれども、今の所特に気になる副作用も無く、順調である。これなら全然気にせず続けていける気がする。むしろ毎食後に飲むビタミン剤の方が面倒なくらいだ…。

おわりに

まだまだメジャーな療法には程遠い舌下免疫療法だけれども、僕のような重症患者は背に腹変えられない感じなので、治療期間と副作用のリスクを理解してやる分には良い治療法だと思う。ただ、クラス2〜3程度の場合はマスクと薬で乗り切る方がリーズナブルという考えは当然あると思う。

何にせよ、治療の選択肢が増えてきたことは良いことだ。本州に住み続ける限り、僕達が生きている間くらいはスギ花粉の脅威からは逃れられないだろうから、3年間の治療で幾らかでも症状が緩和されることを祈りたい。

生まれて初めて爪切りを買った

爪切りを買ったことが無い人生だった。今は反省している。

買わないでも何とかなっていた

粗品とかで貰える爪切りで済ませてきたというわけでもない。

僕の場合、実家に居た頃は家族共有の爪切りを使っていて、独り暮らしを始めた時に持って行けと渡されたのを、20年近く使っていた。爪なんて切れれば良いくらいの感覚だったので、何の不満も感じていなかった。

買ってみてひっくり返った

家族が新しい爪切りを欲しがったので、折角買うならばと良い爪切りを選んでみた。刃物系はやはり貝印だろうということで、関孫六シリーズの爪切りを購入。お値段はAmazonで1,300円ほど。爪切りとしては高めだけれども、どうせまた何十年も使うと考えたら安いものだ。

初めて爪を切った感触は、想像を絶するものだった。

旧:「パキーン!パキーン!

新:「カチ、カチ」

すごい。力を入れなくても切れる。しかも音がものすごく小さい。これは聴覚過敏の耳に優しくて良いと思った。

おわりに

正直、爪切りなんて買うものではないし、どれでも同じくらいに思っていた。けれども、やはり良い物は違う。

あのパキーン!という音も今では慣れてしまったけれども、もう聴かなくても済むのだと思うとちょっと嬉しくなる。もっと早く買っておけば良かった。

関孫六 ツメキリ type102 HC3502

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  • メディア: ヘルスケア&ケア用品

趣味の一環としての土日に体を動かす習慣

ここ数ヶ月、体重が人生最高を記録していたので、さすがにメタボ対策を急がねばと土日に体を動かすことにした。ただ、ジムのような所は人が多くて辛いし更衣室の臭いに耐えられない。というわけで近場の街を散策することにした。

初週は歌舞伎町のホテル街や北新宿、百人町といったカオスな地域を歩いて回り、翌週は自転車で新宿御苑や代々木公園の周りをぐるり。そして今週は、徒歩から自転車と来れば鉄道だろうと、近場でまだ乗ってない路線に行くことにした。更に欲張って、沿線の社寺にも参ることに。

階段縛りと駅からの徒歩移動

体を動かすのに鉄道かよというツッコミはありそうだけれども、特に地下鉄や都市近郊の鉄道については「エスカレーターやエレベーターを使わない」という階段縛りを加えると、結構良い運動になる。

また、駅から目的地までの移動でもそこそこ歩くということもバカにならない。実際、今回の徒歩移動距離はGoogle先生によれば3.7km。結構歩いた。

東急世田谷線

というわけで、今回選んだ路線は東急世田谷線。鉄道というか、軌道だけれども。都内に残る軌道の片割れ、都電荒川線には早稲田-王子駅前間で乗車したことがあるけれども、こちらは初。

全線が専用軌道で駅もしっかりしているので、見ただけでは鉄道と区別がつきにくい。けれども走り出すと最高速度は40kmのノンビリ運転で、架線を見れば軌道っぽさがよくわかる。あと、今回は素通りしたけれども、途中で道路の信号を渡るのも味わい深い。

幸い、都電荒川線のような慢性的な混雑はこちらではそれほど感じられなかったので、都内で長閑な軌道路線を楽しむなら、こちらの方が穴場だ。

世田谷八幡宮

下高井戸から宮の坂まで戻り、駅前すぐに鎮座する世田谷八幡宮へ。

地元密着感のある神社でありながら、末社の周りに池があったり、立派な土俵が構えられていたりと、広々した境内で落ち着く。社殿では祈祷も行われていて、氏子さんからの崇敬も厚そうだ。周辺の町並みも閑静で、住みたいと思えてくるほど。

滋賀に住んでいた頃、家の前が建部大社で、唐橋を渡れば京阪の駅という似たような場所に住んでいたということもあるかもしれない。神社の近くに住みたい。住みたい。

豪徳寺

世田谷線で招き猫ラッピング車に当たったからというわけではないけれども。招き猫発祥の地、井伊家菩提寺の豪徳寺へ。世田谷八幡宮からは徒歩5分ほど。

まずは立派な松の参道に圧倒される。そして境内は井伊の家紋・旗印と猫づくし。御堂の屋根に家紋というのは、有力武家の菩提寺では王道ではあるけれども、彦根の龍潭寺ではそこまで押されていなかったので、雰囲気の違いを感じた。

一方で、招き猫はこちらが本家なのに、彦根の方で大人気になるという…。元彦根民としては複雑な心境である。ちなみに招き猫は写真に収まりきらず、この3倍くらいはいらっしゃるので圧巻である。三重塔にまで猫さんが彫られていたり、完全に猫寺である。

北澤八幡神社

豪徳寺駅から小田急で下北沢へ。豪徳寺界隈は閑静で、駅前の商店街も賑わってはいたけれども地元密着感があって良かったのに、下北沢の人混みは一体…。言うなれば竹下通りをもっとカオスにした感じか。

そんな煩悩空間を越えると急に閑静な住宅街になり、高台にそびえる地元密着感あふれる神社が。

麓は子供の遊び場になっていて、神社の境内で遊ぶ子供達という昔ながらの光景が垣間見える。中腹に神楽殿、最上部に本殿や末社が並んでいる。また、富士塚があって冬の天気の良い日であれば富士山もくっきり拝めるらしい。

おわりに

東京も場所を選べば人混みを避けつつ鉄分や社寺分を補給できることがわかったのは僥倖だった。おまけに良い運動にもなった。夕食後に3時間くらい寝落ちしたけれども…。

来週以降も毎週どこかを散策するという習慣は続けていきたい。なお、全ての行程ツイートは以下から。

ブログの方向性とウェブエンジニアの生存戦略

今後このブログをどういうスタンスで書いていこうか迷っていたら、ウェブエンジニアとしてこの先数十年をどうやって生き抜くか、みたいなことにまで妄想が及んでいた。

自分の汚い部分も含まれるので、ここに書くべきかどうかは迷ったけれども、記事として残しておくことでその時々の自分の考えを追跡できるので、現時点での心中を書き綴っておこうと思う。結論の無いポエムである。

先鋭化するか否か

先の記事では中々壮絶なブコメを貰ったけれども、一方で色々なブログで言及され、その内容も興味深いものばかりだった。届けたい人達にはきちんと届いているのだなという手応えは感じられたので、書いて良かった部分はあったと思う。

ただ、こうした試行錯誤を重ねた上で、分野を絞ってブログとしての方向性を先鋭化していくかどうかという所については、正直どうしたものかと迷っている。世に溢れるブログ運営指南を正とするならば、迷うこと無く先鋭化すべきなのだけれども、それはブログ運営の目的が「収入」にあるからだろう。

僕の場合、ブログを書き始めた当初の目的は、文章を書くこと自体であったり、自分の考えや知見を記録して、後から追跡できるようにすることだった。先鋭化するとなると、前者はともかくとして、後者については書く記事が選別され、自分の一面だけが表に出ることになる。これを良しとするかは難しい所だ。

プレゼンス強化の必要性

一方で、ブログには所謂「プレゼンス強化」の可能性を感じているのも事実ではある。おっさんウェブエンジニアが引退までこの職に在り続けようとした時に、できれば不惑を迎える頃までには「○○の人」という確固たる肩書き的なものは持っておきたい。

今までの経歴だけだと、40代は過去の実績でギリギリ渡り歩いて、50代以降はジリ貧になるだろうなという、漠然とした予感はしている。若手の優秀なエンジニア達が次々に台頭している中にあっては、そういう厳しい未来は普通にあり得ると思っている。

実際、30代前半の頃にはそこそこ頻繁に来ていたスカウトメールや電話の類が、ここ1〜2年で一気に減った。そりゃ、僕が採用担当者だったとしても同じだろう。20代や30代前半と、30代後半のウェブエンジニアが居たら、余程の見所がない限り30代後半の人を積極的に採用しようとは思わない。歳を取れば取るほど、一般に伸び代は小さくなるのだから、こればかりはどうしようもない。

肩書きという必要悪を受け入れるか

僕自身、肩書きなんて糞食らえ、大事なのは中身だろうという中二的な思いはある。ただ、肩書きのような目立つものが無いと、例えそれが本当に素晴らしいものであっても埋没しかねないのもまた事実だ。

例えば、推しのアニメ作品を人に薦めるとして、「この作品はストーリーがほげほげで、作画がふがふがで…」と中身の良さを説明するのと、「○○で有名な□□監督の最新作」と言うのでは、○○が広く知られている場合、どちらが一般に興味を惹かれやすいかは言うまでも無いと思う。悔しいけれど!そうやって映画や本のキャッチコピーは作られるんだな…畜生め(失礼)

閑話休題。

悔しいけれども、優秀な若手ITエンジニアが台頭する昨今において、おっさんエンジニアが埋没しないためには、「プレゼンスの強化」のための肩書きは必要悪なのだろうとは思う。

本業はもちろん大事だが

いざ肩書きを得る(これ、凄くアレな表現だな…)として、ウェブエンジニアである以上、ウェブサービスの土俵でやるのが王道なのは言うまでも無い。実際、僕の過去の経歴にしても、そこそこ有名だったソシャゲの名前を出すと目の色を変える人達は沢山居た。

ただ、ウェブサービスはヒットのハードルが高いし、サービスが終了すれば忘れ去られるので足も早い。仕事にせよ趣味にせよ、コンスタントに開発実績を作っていこうという意志はあっても、必ず結果に繋がる保証は無い。なので、別の軸も用意しておきたいというのが本音だったりする。

そう考えた時に、ブログというのは一つの軸として成立する可能性を秘めていることは間違いないと思っている。でも、そのために本当に書きたいことを捨てて、知名度を上げることに重きを置くのは本末転倒だと思うし、PVを稼ぐことを第一目的とした炎上狙いとかSEOハックみたいなことはやりたくない。この辺り、塩梅が微妙な部分ではあると思うけれども、世のブロガーと呼ばれる人達はどういう信念でやっているのだろうか、気になる。

ちなみに、物書き以外で何かできそうなことを考えた時に、10年前は同人界隈で音楽を作ってたなぁとか、20年前は書をやっていたなぁとか、昔取った杵柄を思い出していた。けれども、いくら過去に実績を残していようが、結局は続かなかったことなので、それよりは今続けていることを大事にしたいと思っている。

おわりに

取り留めの無い文章になってしまったけれども、一朝一夕でどうにかなることでもないので、長い目で見ていこうとは思っている。可能性が多いに越したことは無いので、色んな所で種は撒きつつ。

まぁ、撒いた種が全く育たなかったり、逆に撒いた覚えの無い所から巨木が生えてきたりするのも含めて人生なのだけれども。

なので、誰か五千兆円ください。

挨拶さえ苦手なITエンジニアが社会に適応するためにやってきたこと

先の記事は、自分なんかより余程生きるのが辛くて声を上げられない人達も多かろうと思いつつ書いてみたけれども、現実の厳しさを余計に炙り出す結果になってしまい、反省している。

とはいえ、これに懲りずに少しでも前向きにやっていきたいと思ったので、僕が個人的に生きにくいと思いつつも何とか社会に適応するためにやってきたことを掻い摘まんで挙げておこうと思う。少しでも、同じように生きにくさを抱える方々の参考になれば幸いだ。

注1:この記事の想定読者は、ASDで生きにくさを抱えつつも、社会集団の中でうまくやっていきたいと考えている方である。特に僕がITエンジニアなので、そちら方面の事情に偏っている可能性がある。全くの異業種や、定型発達者の方は想定していないのであしからず。

注2:この記事では幾つかの例を挙げるけれども、それらは僕の経験則であり、個人や集団に対するレッテル張りの意図は全く無い

注3:僕の場合はこれで乗り切ったという事例であり、これでうまくいくことを保証するとか、推奨するものではない。こういう人も居るんだなくらいの受け取り方が丁度良いと思う。

注4:社会集団の中で生きることを選択したからには、彼らと可能な限り上手くやろうと努めるのは大前提である。意見はしても、自分のハンデキャップを盾や特権に使うものではないと思っている。

注5:馬鹿げた内容だと嗤いたければ嗤ってくれ。そういう人に向けては書いていない。

マイノリティーの多いコミュニティーに参加する

まずはこれ。僕の場合は大学時代のサークルだった。そこはコンピューター系のサークルだったのだけれども、偶然か必然か、自分のようなコミュ障や、精神疾患、マイノリティーな趣味等を持つ人達が集結していた。皆が自身をマイノリティーだと自覚していたので、皆の個性に対して寛容だった。そういうコミュニティーに参加したおかげで、僕はそこから排除されずに、失敗を重ねながらも人との濃密なコミュニケーションを重ね、マイノリティーの少ないコミュニティーでも擬態できる程度のスキルをギリギリ身に付けられた。

経験則ではあるが、マイノリティーの多いコミュニティーを探すなら、アニメやゲームのような、濃いオタクがある程度集まってそうな分野を選ぶと当たりやすい傾向にある。オタク気質の強さというのは、こだわりの強さというASDの一特性にも無関係ではないので、あながちデタラメでは無いと思っている。

就活面接を乗り切る

社会に適応していく上で就職は一大イベントだが、その前にはほぼ確実に「面接」という、我々にとっては背筋の凍る試練が待っている。ここでは、先にマイノリティーの多いコミュニティーで鍛え上げた擬態スキルが大いに役立った。少なくとも表面上は日常会話程度なら成り立つようになっていたので、あとは面接に特化した訓練である。

これについては、とにかく想定問答を愚直に繰り返した。自己PRの内容や強み、弱み等の定番の内容を完全に自分の物にした上で、更にそれを仮想面接官相手に話しまくる。これを何十回も繰り返した。

結果は惨敗である。何十社受けたかもう覚えていないけれども、その全てで声や手が震えたり、面接官との会話が噛み合わなくなったりして、悉く一時面接で落とされた。

唯一、一次面接に合格した時に違ったのは、遅刻寸前で飛び込んだことだった。この時はとにかく開始時刻に間に合わねばという一心で面接会場までダッシュしたので、面接が始まる時になっても息が完全に上がっていた。ただ、それが良かったらしい。普段ならば呼ばれるまでの待ち時間で極度の緊張状態になっていたのが、体が温まっていたので全く震えが来なかった。また、頭が空っぽになっていたおかげで、カチカチの想定問答よりもずっと素の受け答えができて、これが合格に繋がったと思っている。

僕の場合は偶然の結果だが、同じことを繰り返すのではなく、会場へ向かう時間を変えてみたり、待ち時間に考える内容を変えてみたりと、色々試行錯誤することで、緊張の度合いをほぐす助けになる可能性がある。ちなみに、この後受けた就活面接では、一度も落ちなくなった。一度学習すれば再現性があるというのは、今にして思えばASDの良い特性だなと思う。

職場での日々のコミュニケーションを乗り切る

職場に入ってからのコミュニケーションで辛いのは、業務上での会話ではなく、休憩中などの日常会話だ。業務上の話ならドライなコミュニケーションなので、ここまで磨いた擬態スキルでも通用した。ただ、日常会話は何が飛んでくるかわからない。

これについては完全に個人の考えだが、極力無理せずに可能であれば避けることを心掛けている。例えば、誰かがトイレで小用を足していたら個室に入るとか、飲み会の席は目立たない所に陣取るとかだ。こうしたことは決して逃げではなく、業務以外で極力疲弊せずに、仕事で最大の生産性を発揮するための合理的な姿勢だと思うことにしている。

業務上のコミュニケーションは、それが成果に直結するので抜かりなくやる必要があるけれども、日常会話は必ずしもそうではない。逆にもし、日常会話が仕事での評価に関わってくるような職場であれば、僕たちのような人種は合わないと見切りを付けた方が建設的だ。これはどちらかが悪いとかではなく、相性がよろしくないと思う。

他にも、電話応対やプレゼンテーション、会議の議事録作成、果ては客先訪問やチームのマネジメントなど、まぁどれも死ぬほど苦手だけれども、基本は反復練習と適度に避けることで乗り切ってきた。ただ、仮に今要求されたら電話応対や議事録作成は苦手だとキッパリ断ると思う。僕がやったら他の業務で生産性を落とすので、得意な人にやってもらえば良い。客先やマネジメントの類いも、かなり高度なコミュニケーションを要求されるので、そっちに行かないというのは大きな選択肢だろう。それで低評価を食らうようなことであれば、これまた相性がよろしくないのだと思う。

うまくいかなければ覚悟を決めて転職する

というわけで、転職の話。僕は社会人になってから、平均1〜2年に一度転職している。中には転籍や会社が解散した例もあるし、コミュニケーション問題とは関係無い理由も多いが。ただ、数字だけを見れば堪え性の無いダメ社会人のレッテルを貼られそうなものだ。

実際、転職の面接では転職回数の多さを指摘されたことは枚挙に暇が無いし、それを理由に断られることも多い。ただ、これは自分にとっても悪くないことだと思っている。というのも、転職回数の数で人を判断するような会社であれば、我々のようなマイノリティーに対してその他にも定型的な見方をしてくる可能性が考えられるからだ。そういう職場とは相性は良くないだろうから、断られて正解だと思っている。

そして、転職を重ねることで、面接で突っ込んだ話をするスキルが身に付いたりとか、自分との相性を見極めやすくなったりとか、あとは単純に数を重ねることで、相性の良い会社と巡り会える確率が上がってくる。そういう良い面もあった。

まぁ、僕に関しては35を越えて、いよいよ転職先の間口が狭まってきた感があるので、そろそろあまり無茶はできないかもしれないと思っているけれども、それでも残ることでストレスを溜めて働けなくなるくらいなら、転職するなりフリーランスになる方がマシだと思っている。

積極的に通院する

僕はそもそも自分がASDであるという自覚が数年前まで無かったので、精神科や発達障害外来を受診するという選択肢自体が存在しなかったけれども、社会生活で生きにくさを抱えているのであれば、今は大丈夫だと思っても通院するのが良いと思っている。

こういうのはストレスを溜めて心の余裕が無くなってくると(少なくとも僕は)余計に行かなくなる、というか行けなくなるので、違和感くらいの時点で行っておくべきだと思う。僕はそれをしなかったことで、一気にドカッときて3ヶ月の休職を食らっている。

どうにもならなければ公的支援を検討する

これは僕が受けているわけではないけれども。ASDやADHD等の発達障害の場合は障害年金や障害手帳の取得ハードルが非常に高いが、それは辛くても働いている状態にあるからで、本格的に働けなくなった場合は収入が当然ゼロになるので、支援を受けやすくなる。その後仕事に復帰する場合でも、障害者枠の雇用という選択肢があり得る。これらを頼るのは最後の手段ではあるけれども、「ある」と知っておくことは安心感に繋がる。

ちなみに、障害認定には医師の診断書が必要なので、先に挙げた通院が重要になってくる。その中で発達障害等の診断が下りれば、最初に通院した日を初診日として、障害年金であれば最大5年まで遡って支給される。

こうした内容については、専門のサイトが幾つもあるのでそれらを参照されたい。

おわりに

こうして書き連ねると、中々波乱に富んでいるなぁとしみじみする。もっと平穏無事に生きられれば嬉しいのだけれども、残念ながらマイノリティーがどこへ行っても寛容をもって受け入れられることは、今の時代には期待できないのが現実だ。であれば、そこで生き抜くためにはマジョリティーに擬態するスキルを身に付けるしか無い。

それが嫌で人と極力関わらずに生きていくのも一つの生き方だと思うし、僕のように擬態とハックで社会の荒波に揉まれるのも一つ、また他にも色々な生き方があるかもしれない。みんな違ってみんな良いと思う。僕はその中で、もう暫くは茨の道を行こうかと思う。まぁ今の職場はコミュ障への理解があるので、山あり谷ありという感じか。

挨拶の苦手な人間にエンジニアの資格は無いのか

ASD持ちのウェブエンジニアとして気になるツイートを見掛けたので、少し触れたいと思う。

反響が大きかったので補足

  • 一番言いたいのは、「そういう特性の人もいるよ、互いの個性を尊重し合って適材適所が良いよね」という話。
  • 苦手な人が表面上のコミュ力を身に付けること自体は無理の無い範囲でやっておくと可能性が広がることは間違いない。
  • ツイート主の素性は確認すべきだったと反省している。

あと、前向きになるために次の記事を書いた。

aikawame.hateblo.jp

以下、本文。

挨拶はできて当然のことか

僕も職場では毎日挨拶している。ただ、これは自然にできるようになったわけではない。小学生の頃までは親戚の大人と対面しても、怖くて親の陰に隠れているような子供だった。ピアノの個人レッスンも受けていたけれども、入室時と退室時にお辞儀するだけ、レッスン中も頷くだけで、一言も声を発せないような子供だった。数少ない友達と遊ぶ時でも、家のインターホンを押すのさえ嫌だった。

それでも、何とか社会人になるまでに猫を被る技を身に付けて、最低限の対人コミュニケーションを「表面上は」できるまでになった。その後仕事の技量を認められて、リードエンジニア業を任されたり、客先との調整役やインターンのメンターのような経験を積めたのは僥倖だ。

ただ、訓練に訓練を積み重ねたことで、挨拶くらいは無意識にでもできるようになったけれども、未だにトイレで隣になった人と世間話みたいなシーンですら強烈なストレスが掛かるし、生産性は落ちる。ASD持ちにとっては、相手の反応というのは発される言葉しかほとんど頼りにならないので、定型発達者が顔色や声色等を伺うのに比べ、何を話すべきか考える部分に大きな負荷が掛かるのだ。

僕は幸いにして、脳が疲弊するだけで「表面上は」それなりのコミュニケーションを取れるようになったけれども、ASDの程度によってはそれが困難な場合も多いし、僕自身も精神を患ったこともあり、今はバリバリコミュニケーションが発生する所から一歩引いている。定型発達者からすれば物心ついた頃から当たり前にできていることが、当たり前にできない人も居るということについては、声を上げておきたい。

エンジニアにはASDやグレーゾーンが多い

エンジニアのような論理的思考を求められる職業には、ASDやグレーゾーンと呼ばれる定型発達者との狭間の人達が多い。各種専門書にも記載があるので詳しくは述べないが、ASD持ちは大雑把に言えば論理的思考が得意で、そこがエンジニアという職種に向く傾向にある。一方で、他人への関心が薄かったり、相手の表情や声色から感情を認識するのが苦手であったりと、対人コミュニケーションに大きなハンデを追う傾向にある。

一部のエンジニアが挨拶や日常会話に難があるというのは、今までの経験上も事実だとは思う。ただ、彼らの多くは決して面倒とか悪意をもってとか、そんな理由でコミュニケーションを忌避するのではない。やりたくてもうまくできなかったり、意義を見出せていなかったり、極端なストレスが掛かったりするのだ。一方で、対人コミュニケーション能力を犠牲にして、彼らはその技術力を獲得しているという側面もあるわけで、だからお目こぼししろと言うわけではないが、彼らには彼らなりの事情があるという所については、頭の片隅に置いておくと良いのではないかと思う。

おわりに

とはいえ、同じ成果を出すエンジニアであればコミュニケーション能力の高い方が良いとか、そういう話はまぁあるだろうとは思う。そこを適材適所として、苦手なコミュニケーション能力をそこまで問わずに済む形で仕事を任せるか、一律に最低限のコミュニケーションを強制するかは各社の考え次第だろう。

ただ、少なくとも僕自身は、今まで見てきたコミュニケーション能力に難のあるエンジニアの中に、優秀な人達を多数見てきたので、挨拶を強制する会社で働きたいかと言われるとノーである。これは職種を変えれば、営業にプログラミングの基礎知識を強制するようなものだと思っている。もちろんできればより強力だとは思うけれども、苦手なら苦手なりに適材適所だと思う。そして、部署間で互いの強みを尊敬し合うのが一つの全体最適の形だと考えている。

願わくは、挨拶や対人コミュニケーションが苦手であってもエンジニアが輝けるような職場が増えてくることを祈るばかりだ。