35歳からの中二病エンジニア

社寺・鉄道・アニメを愛でるウェブ技術者の呟き

ブログの方向性とウェブエンジニアの生存戦略

今後このブログをどういうスタンスで書いていこうか迷っていたら、ウェブエンジニアとしてこの先数十年をどうやって生き抜くか、みたいなことにまで妄想が及んでいた。

自分の汚い部分も含まれるので、ここに書くべきかどうかは迷ったけれども、記事として残しておくことでその時々の自分の考えを追跡できるので、現時点での心中を書き綴っておこうと思う。結論の無いポエムである。

先鋭化するか否か

先の記事では中々壮絶なブコメを貰ったけれども、一方で色々なブログで言及され、その内容も興味深いものばかりだった。届けたい人達にはきちんと届いているのだなという手応えは感じられたので、書いて良かった部分はあったと思う。

ただ、こうした試行錯誤を重ねた上で、分野を絞ってブログとしての方向性を先鋭化していくかどうかという所については、正直どうしたものかと迷っている。世に溢れるブログ運営指南を正とするならば、迷うこと無く先鋭化すべきなのだけれども、それはブログ運営の目的が「収入」にあるからだろう。

僕の場合、ブログを書き始めた当初の目的は、文章を書くこと自体であったり、自分の考えや知見を記録して、後から追跡できるようにすることだった。先鋭化するとなると、前者はともかくとして、後者については書く記事が選別され、自分の一面だけが表に出ることになる。これを良しとするかは難しい所だ。

プレゼンス強化の必要性

一方で、ブログには所謂「プレゼンス強化」の可能性を感じているのも事実ではある。おっさんウェブエンジニアが引退までこの職に在り続けようとした時に、できれば不惑を迎える頃までには「○○の人」という確固たる肩書き的なものは持っておきたい。

今までの経歴だけだと、40代は過去の実績でギリギリ渡り歩いて、50代以降はジリ貧になるだろうなという、漠然とした予感はしている。若手の優秀なエンジニア達が次々に台頭している中にあっては、そういう厳しい未来は普通にあり得ると思っている。

実際、30代前半の頃にはそこそこ頻繁に来ていたスカウトメールや電話の類が、ここ1〜2年で一気に減った。そりゃ、僕が採用担当者だったとしても同じだろう。20代や30代前半と、30代後半のウェブエンジニアが居たら、余程の見所がない限り30代後半の人を積極的に採用しようとは思わない。歳を取れば取るほど、一般に伸び代は小さくなるのだから、こればかりはどうしようもない。

肩書きという必要悪を受け入れるか

僕自身、肩書きなんて糞食らえ、大事なのは中身だろうという中二的な思いはある。ただ、肩書きのような目立つものが無いと、例えそれが本当に素晴らしいものであっても埋没しかねないのもまた事実だ。

例えば、推しのアニメ作品を人に薦めるとして、「この作品はストーリーがほげほげで、作画がふがふがで…」と中身の良さを説明するのと、「○○で有名な□□監督の最新作」と言うのでは、○○が広く知られている場合、どちらが一般に興味を惹かれやすいかは言うまでも無いと思う。悔しいけれど!そうやって映画や本のキャッチコピーは作られるんだな…畜生め(失礼)

閑話休題。

悔しいけれども、優秀な若手ITエンジニアが台頭する昨今において、おっさんエンジニアが埋没しないためには、「プレゼンスの強化」のための肩書きは必要悪なのだろうとは思う。

本業はもちろん大事だが

いざ肩書きを得る(これ、凄くアレな表現だな…)として、ウェブエンジニアである以上、ウェブサービスの土俵でやるのが王道なのは言うまでも無い。実際、僕の過去の経歴にしても、そこそこ有名だったソシャゲの名前を出すと目の色を変える人達は沢山居た。

ただ、ウェブサービスはヒットのハードルが高いし、サービスが終了すれば忘れ去られるので足も早い。仕事にせよ趣味にせよ、コンスタントに開発実績を作っていこうという意志はあっても、必ず結果に繋がる保証は無い。なので、別の軸も用意しておきたいというのが本音だったりする。

そう考えた時に、ブログというのは一つの軸として成立する可能性を秘めていることは間違いないと思っている。でも、そのために本当に書きたいことを捨てて、知名度を上げることに重きを置くのは本末転倒だと思うし、PVを稼ぐことを第一目的とした炎上狙いとかSEOハックみたいなことはやりたくない。この辺り、塩梅が微妙な部分ではあると思うけれども、世のブロガーと呼ばれる人達はどういう信念でやっているのだろうか、気になる。

ちなみに、物書き以外で何かできそうなことを考えた時に、10年前は同人界隈で音楽を作ってたなぁとか、20年前は書をやっていたなぁとか、昔取った杵柄を思い出していた。けれども、いくら過去に実績を残していようが、結局は続かなかったことなので、それよりは今続けていることを大事にしたいと思っている。

おわりに

取り留めの無い文章になってしまったけれども、一朝一夕でどうにかなることでもないので、長い目で見ていこうとは思っている。可能性が多いに越したことは無いので、色んな所で種は撒きつつ。

まぁ、撒いた種が全く育たなかったり、逆に撒いた覚えの無い所から巨木が生えてきたりするのも含めて人生なのだけれども。

なので、誰か五千兆円ください。

挨拶さえ苦手なITエンジニアが社会に適応するためにやってきたこと

先の記事は、自分なんかより余程生きるのが辛くて声を上げられない人達も多かろうと思いつつ書いてみたけれども、現実の厳しさを余計に炙り出す結果になってしまい、反省している。

とはいえ、これに懲りずに少しでも前向きにやっていきたいと思ったので、僕が個人的に生きにくいと思いつつも何とか社会に適応するためにやってきたことを掻い摘まんで挙げておこうと思う。少しでも、同じように生きにくさを抱える方々の参考になれば幸いだ。

注1:この記事の想定読者は、ASDで生きにくさを抱えつつも、社会集団の中でうまくやっていきたいと考えている方である。特に僕がITエンジニアなので、そちら方面の事情に偏っている可能性がある。全くの異業種や、定型発達者の方は想定していないのであしからず。

注2:この記事では幾つかの例を挙げるけれども、それらは僕の経験則であり、個人や集団に対するレッテル張りの意図は全く無い

注3:僕の場合はこれで乗り切ったという事例であり、これでうまくいくことを保証するとか、推奨するものではない。こういう人も居るんだなくらいの受け取り方が丁度良いと思う。

注4:社会集団の中で生きることを選択したからには、彼らと可能な限り上手くやろうと努めるのは大前提である。意見はしても、自分のハンデキャップを盾や特権に使うものではないと思っている。

注5:馬鹿げた内容だと嗤いたければ嗤ってくれ。そういう人に向けては書いていない。

マイノリティーの多いコミュニティーに参加する

まずはこれ。僕の場合は大学時代のサークルだった。そこはコンピューター系のサークルだったのだけれども、偶然か必然か、自分のようなコミュ障や、精神疾患、マイノリティーな趣味等を持つ人達が集結していた。皆が自身をマイノリティーだと自覚していたので、皆の個性に対して寛容だった。そういうコミュニティーに参加したおかげで、僕はそこから排除されずに、失敗を重ねながらも人との濃密なコミュニケーションを重ね、マイノリティーの少ないコミュニティーでも擬態できる程度のスキルをギリギリ身に付けられた。

経験則ではあるが、マイノリティーの多いコミュニティーを探すなら、アニメやゲームのような、濃いオタクがある程度集まってそうな分野を選ぶと当たりやすい傾向にある。オタク気質の強さというのは、こだわりの強さというASDの一特性にも無関係ではないので、あながちデタラメでは無いと思っている。

就活面接を乗り切る

社会に適応していく上で就職は一大イベントだが、その前にはほぼ確実に「面接」という、我々にとっては背筋の凍る試練が待っている。ここでは、先にマイノリティーの多いコミュニティーで鍛え上げた擬態スキルが大いに役立った。少なくとも表面上は日常会話程度なら成り立つようになっていたので、あとは面接に特化した訓練である。

これについては、とにかく想定問答を愚直に繰り返した。自己PRの内容や強み、弱み等の定番の内容を完全に自分の物にした上で、更にそれを仮想面接官相手に話しまくる。これを何十回も繰り返した。

結果は惨敗である。何十社受けたかもう覚えていないけれども、その全てで声や手が震えたり、面接官との会話が噛み合わなくなったりして、悉く一時面接で落とされた。

唯一、一次面接に合格した時に違ったのは、遅刻寸前で飛び込んだことだった。この時はとにかく開始時刻に間に合わねばという一心で面接会場までダッシュしたので、面接が始まる時になっても息が完全に上がっていた。ただ、それが良かったらしい。普段ならば呼ばれるまでの待ち時間で極度の緊張状態になっていたのが、体が温まっていたので全く震えが来なかった。また、頭が空っぽになっていたおかげで、カチカチの想定問答よりもずっと素の受け答えができて、これが合格に繋がったと思っている。

僕の場合は偶然の結果だが、同じことを繰り返すのではなく、会場へ向かう時間を変えてみたり、待ち時間に考える内容を変えてみたりと、色々試行錯誤することで、緊張の度合いをほぐす助けになる可能性がある。ちなみに、この後受けた就活面接では、一度も落ちなくなった。一度学習すれば再現性があるというのは、今にして思えばASDの良い特性だなと思う。

職場での日々のコミュニケーションを乗り切る

職場に入ってからのコミュニケーションで辛いのは、業務上での会話ではなく、休憩中などの日常会話だ。業務上の話ならドライなコミュニケーションなので、ここまで磨いた擬態スキルでも通用した。ただ、日常会話は何が飛んでくるかわからない。

これについては完全に個人の考えだが、極力無理せずに可能であれば避けることを心掛けている。例えば、誰かがトイレで小用を足していたら個室に入るとか、飲み会の席は目立たない所に陣取るとかだ。こうしたことは決して逃げではなく、業務以外で極力疲弊せずに、仕事で最大の生産性を発揮するための合理的な姿勢だと思うことにしている。

業務上のコミュニケーションは、それが成果に直結するので抜かりなくやる必要があるけれども、日常会話は必ずしもそうではない。逆にもし、日常会話が仕事での評価に関わってくるような職場であれば、僕たちのような人種は合わないと見切りを付けた方が建設的だ。これはどちらかが悪いとかではなく、相性がよろしくないと思う。

他にも、電話応対やプレゼンテーション、会議の議事録作成、果ては客先訪問やチームのマネジメントなど、まぁどれも死ぬほど苦手だけれども、基本は反復練習と適度に避けることで乗り切ってきた。ただ、仮に今要求されたら電話応対や議事録作成は苦手だとキッパリ断ると思う。僕がやったら他の業務で生産性を落とすので、得意な人にやってもらえば良い。客先やマネジメントの類いも、かなり高度なコミュニケーションを要求されるので、そっちに行かないというのは大きな選択肢だろう。それで低評価を食らうようなことであれば、これまた相性がよろしくないのだと思う。

うまくいかなければ覚悟を決めて転職する

というわけで、転職の話。僕は社会人になってから、平均1〜2年に一度転職している。中には転籍や会社が解散した例もあるし、コミュニケーション問題とは関係無い理由も多いが。ただ、数字だけを見れば堪え性の無いダメ社会人のレッテルを貼られそうなものだ。

実際、転職の面接では転職回数の多さを指摘されたことは枚挙に暇が無いし、それを理由に断られることも多い。ただ、これは自分にとっても悪くないことだと思っている。というのも、転職回数の数で人を判断するような会社であれば、我々のようなマイノリティーに対してその他にも定型的な見方をしてくる可能性が考えられるからだ。そういう職場とは相性は良くないだろうから、断られて正解だと思っている。

そして、転職を重ねることで、面接で突っ込んだ話をするスキルが身に付いたりとか、自分との相性を見極めやすくなったりとか、あとは単純に数を重ねることで、相性の良い会社と巡り会える確率が上がってくる。そういう良い面もあった。

まぁ、僕に関しては35を越えて、いよいよ転職先の間口が狭まってきた感があるので、そろそろあまり無茶はできないかもしれないと思っているけれども、それでも残ることでストレスを溜めて働けなくなるくらいなら、転職するなりフリーランスになる方がマシだと思っている。

積極的に通院する

僕はそもそも自分がASDであるという自覚が数年前まで無かったので、精神科や発達障害外来を受診するという選択肢自体が存在しなかったけれども、社会生活で生きにくさを抱えているのであれば、今は大丈夫だと思っても通院するのが良いと思っている。

こういうのはストレスを溜めて心の余裕が無くなってくると(少なくとも僕は)余計に行かなくなる、というか行けなくなるので、違和感くらいの時点で行っておくべきだと思う。僕はそれをしなかったことで、一気にドカッときて3ヶ月の休職を食らっている。

どうにもならなければ公的支援を検討する

これは僕が受けているわけではないけれども。ASDやADHD等の発達障害の場合は障害年金や障害手帳の取得ハードルが非常に高いが、それは辛くても働いている状態にあるからで、本格的に働けなくなった場合は収入が当然ゼロになるので、支援を受けやすくなる。その後仕事に復帰する場合でも、障害者枠の雇用という選択肢があり得る。これらを頼るのは最後の手段ではあるけれども、「ある」と知っておくことは安心感に繋がる。

ちなみに、障害認定には医師の診断書が必要なので、先に挙げた通院が重要になってくる。その中で発達障害等の診断が下りれば、最初に通院した日を初診日として、障害年金であれば最大5年まで遡って支給される。

こうした内容については、専門のサイトが幾つもあるのでそれらを参照されたい。

おわりに

こうして書き連ねると、中々波乱に富んでいるなぁとしみじみする。もっと平穏無事に生きられれば嬉しいのだけれども、残念ながらマイノリティーがどこへ行っても寛容をもって受け入れられることは、今の時代には期待できないのが現実だ。であれば、そこで生き抜くためにはマジョリティーに擬態するスキルを身に付けるしか無い。

それが嫌で人と極力関わらずに生きていくのも一つの生き方だと思うし、僕のように擬態とハックで社会の荒波に揉まれるのも一つ、また他にも色々な生き方があるかもしれない。みんな違ってみんな良いと思う。僕はその中で、もう暫くは茨の道を行こうかと思う。まぁ今の職場はコミュ障への理解があるので、山あり谷ありという感じか。

挨拶の苦手な人間にエンジニアの資格は無いのか

ASD持ちのウェブエンジニアとして気になるツイートを見掛けたので、少し触れたいと思う。

反響が大きかったので補足

  • 一番言いたいのは、「そういう特性の人もいるよ、互いの個性を尊重し合って適材適所が良いよね」という話。
  • 苦手な人が表面上のコミュ力を身に付けること自体は無理の無い範囲でやっておくと可能性が広がることは間違いない。
  • ツイート主の素性は確認すべきだったと反省している。

あと、前向きになるために次の記事を書いた。

aikawame.hateblo.jp

以下、本文。

挨拶はできて当然のことか

僕も職場では毎日挨拶している。ただ、これは自然にできるようになったわけではない。小学生の頃までは親戚の大人と対面しても、怖くて親の陰に隠れているような子供だった。ピアノの個人レッスンも受けていたけれども、入室時と退室時にお辞儀するだけ、レッスン中も頷くだけで、一言も声を発せないような子供だった。数少ない友達と遊ぶ時でも、家のインターホンを押すのさえ嫌だった。

それでも、何とか社会人になるまでに猫を被る技を身に付けて、最低限の対人コミュニケーションを「表面上は」できるまでになった。その後仕事の技量を認められて、リードエンジニア業を任されたり、客先との調整役やインターンのメンターのような経験を積めたのは僥倖だ。

ただ、訓練に訓練を積み重ねたことで、挨拶くらいは無意識にでもできるようになったけれども、未だにトイレで隣になった人と世間話みたいなシーンですら強烈なストレスが掛かるし、生産性は落ちる。ASD持ちにとっては、相手の反応というのは発される言葉しかほとんど頼りにならないので、定型発達者が顔色や声色等を伺うのに比べ、何を話すべきか考える部分に大きな負荷が掛かるのだ。

僕は幸いにして、脳が疲弊するだけで「表面上は」それなりのコミュニケーションを取れるようになったけれども、ASDの程度によってはそれが困難な場合も多いし、僕自身も精神を患ったこともあり、今はバリバリコミュニケーションが発生する所から一歩引いている。定型発達者からすれば物心ついた頃から当たり前にできていることが、当たり前にできない人も居るということについては、声を上げておきたい。

エンジニアにはASDやグレーゾーンが多い

エンジニアのような論理的思考を求められる職業には、ASDやグレーゾーンと呼ばれる定型発達者との狭間の人達が多い。各種専門書にも記載があるので詳しくは述べないが、ASD持ちは大雑把に言えば論理的思考が得意で、そこがエンジニアという職種に向く傾向にある。一方で、他人への関心が薄かったり、相手の表情や声色から感情を認識するのが苦手であったりと、対人コミュニケーションに大きなハンデを追う傾向にある。

一部のエンジニアが挨拶や日常会話に難があるというのは、今までの経験上も事実だとは思う。ただ、彼らの多くは決して面倒とか悪意をもってとか、そんな理由でコミュニケーションを忌避するのではない。やりたくてもうまくできなかったり、意義を見出せていなかったり、極端なストレスが掛かったりするのだ。一方で、対人コミュニケーション能力を犠牲にして、彼らはその技術力を獲得しているという側面もあるわけで、だからお目こぼししろと言うわけではないが、彼らには彼らなりの事情があるという所については、頭の片隅に置いておくと良いのではないかと思う。

おわりに

とはいえ、同じ成果を出すエンジニアであればコミュニケーション能力の高い方が良いとか、そういう話はまぁあるだろうとは思う。そこを適材適所として、苦手なコミュニケーション能力をそこまで問わずに済む形で仕事を任せるか、一律に最低限のコミュニケーションを強制するかは各社の考え次第だろう。

ただ、少なくとも僕自身は、今まで見てきたコミュニケーション能力に難のあるエンジニアの中に、優秀な人達を多数見てきたので、挨拶を強制する会社で働きたいかと言われるとノーである。これは職種を変えれば、営業にプログラミングの基礎知識を強制するようなものだと思っている。もちろんできればより強力だとは思うけれども、苦手なら苦手なりに適材適所だと思う。そして、部署間で互いの強みを尊敬し合うのが一つの全体最適の形だと考えている。

願わくは、挨拶や対人コミュニケーションが苦手であってもエンジニアが輝けるような職場が増えてくることを祈るばかりだ。

令和最初の初詣?

まずは新帝陛下の皇位継承を心よりお慶び申し上げたい。また、令和の御代の安寧と、皇室の弥栄をお祈り申し上げたい。

今日は一般参賀が大賑わいだったようで、誠に喜ばしい。僕は人混みがダメなので遠慮させていただいたけれども、平成最初の時よりも多くの人出だったようで、皇室への親しみが深まった平成の御代だったのだなと、上皇上皇后両陛下には改めて敬服する。

さて、僕自身はというと、5月1日は何処の神社も賑わうだろうし、神様も忙しそうだと思ったので、暫く待って5月3日の早朝から令和最初の神社参りをさせていただいた。最近体重が気になっていたので、運動がてら自転車で。

新宿諏訪神社

例によって例の如く、氏神様に参る。7時から社務所が開いているようだったので、7時に。

やはり早朝の神社というのは気持ち良くて、新宿(ほぼ高田馬場だけれども)とは思えない空気の澄み具合だった。そして境内に掛かる鯉のぼりが季節感溢れていて良い。こういう所が地元密着の神社の良さだと思う。

新帝陛下御即位の記念御朱印を5月の間いただけるということだったので、折角なのでいただくことに。最近は御朱印ブームで各地の神社とも混雑しているため、頂いたのは1月の赤坂氷川神社以来だった。

東京大神宮

新宿諏訪神社から真東へ、早稲田、神楽坂を越えれば15分ほどで飯田橋は東京大神宮。

こちらも毎年恒例。6月あたりか、遅くとも夏迄には伊勢の正宮に参拝するつもりではあるけれども、まずは遥拝させていただいた。7時台でも参拝される方は多く、人々の御祝いムードを肌で感じる。

花園神社

飯田橋から靖国通りを新宿へ戻り、花園神社へ。

こちらも以下略。驚いたことには、普段の早朝は人気が全く無いのに、この時は結構な参拝者が。

と、ここで気付いたのだけれども、どうも多くの神社では御朱印受付は9時かららしい。東京大神宮はいつも早朝に参拝すると社務所が閉まっているし、こちらでも神職の方に尋ねると9時からとのこと。早朝に頂いたことが今まで無かったので、これは新しい知見だった。

明治神宮

さて、今回は御代替わりということで、明治帝にもご挨拶に伺うことに。

まだ8時台なのに参道は多くの参拝者で賑わっていた。それでも朝の境内の香りは濃く、やはり早朝参拝は良いなと再認識。

驚いたのは、この時間でも御朱印授与に30分待ちという盛況ぶり。それでも1日昼間の大行列を思えば全然なので、折角なので並ばせていただいた所、なんと14人体制で回されており、驚愕した。元々9時から受付の所を前倒しされていたようでもあり、頭の下がる思いだった。

おわりに

新しい御代を迎え、皇室も各地の神社も人々にとって身近な存在であり続けていることは喜ばしい。個人的には静かな境内が好きなので、あまりに混雑することには複雑な思いだけれども、神社が潤うのは良いことなので、益々の繁栄を願いたい。

ちなみに、今回の走行距離は徒歩含めて23km。まぁまぁ良い運動にもなった。

令和にまた参りたい神社

平成もいよいよ大詰めというということで、平成最後のブログ記事として鉄道、アニメ、音楽などの趣味から何かしら振り返り的なものを書こうと思ったけれども、ここはやはり神社だろうという天啓によって、平成に参った神社の中から特に良かった所を挙げていきたい。

なお、僕の好みを挙げておくと、次のような感じになる。

  • 祭事以外は概ね混雑していない
  • 都市から離れた閑静な地である
  • 動植物に溢れている

ちなみに、写真を撮る習慣がブログを書き始めるまでほぼ無かったため、過去に参拝した神社の写真はWikipediaから引用させていただいているのであしからず。

瀧原宮(三重県度会郡大紀町)

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著作権者 N yotarou氏 / CC BY-SA 3.0

皇大神宮(伊勢神宮・内宮)の別宮。内宮のモデルになったとも言われるくらいに、内宮とよく似た土地に鎮座しているが、更に山深い場所柄か、荘厳な雰囲気は早朝の内宮以上のものを感じる。土日の午後でもすれ違う人が二桁行くかどうかみたいなことも普通にあるくらいに閑散としていて、玉砂利を踏みしめる音と大自然の音色だけが響く長い参道を歩けば身も心も洗われる。

本殿も木々に囲まれて静寂に包まれている。正宮では御垣内参拝でなければ拝めない本殿は、神明造で質実剛健。皇大神宮の別宮なので、もちろんお祀りされているのは天照大御神である。この荘厳さは写真や文章では表し切れないので、是非とも実際に参拝していただきたい。

諏訪大社 上社前宮(長野県諏訪市)

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著作権者 Saigen Jiro氏 / Public domain

国内でも有数の古社である諏訪大社。実は諏訪大社は二社四宮からなり、一般に諏訪大社というと、上社本宮を指すことが多いし、観光客の多くは上社本宮だけを訪れる場合が多く、普段から賑わっている。

一方の上社前宮は、本宮よりも更に歴史が古く、建御名方神の諏訪入り以前から土着信仰の拠点であったとされる。こちらは良い意味で全く観光地化されておらず、何も知らない人が訪れたらごく普通の地域の神社と勘違いしてしまうかもしれない。それでも、本殿を囲む御柱は紛うことなき諏訪大社のそれであり、境内には神聖な雰囲気が漂っている。諏訪大社を参拝する際には、是非とも上社本宮だけでなく、二社四宮を参拝されたい。下社の春宮、秋宮もまた独特の雰囲気の境内でおすすめだ。

戸隠神社 奥社(長野県長野市)

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著作権者 Chris 73氏 / CC BY-SA 3.0

霊山・戸隠山に五社を配する神社。元々は神仏習合の修験道場だったが、明治の神仏判然令により神社となった。そうした経緯から、境内には仏教由来の建築も数多い。五社の中間に鎮座する中社が規模も大きく、人が賑わう。

ここから奥社の大鳥居へ足を進めると、一気に閑散としてくる。というのも、そこから奥社本殿までは片道2kmを歩かなければならない。ただ、その参道こそが戸隠神社の神髄で、写真の通り、樹齢400年超の見事な杉並木なのだ。この参道を2kmも歩けば、煩悩も吹っ飛ぶというものである。往復4kmは中々の距離だが、歩くこと自体に意味があると思えること請け合いなので、是非とも奥社まで参拝されたい。

北口本宮冨士浅間神社(山梨県富士吉田市)

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浅間神社といえば、有名なのは富士宮に鎮座する富士山本宮浅間大社だ。一方でこちらは山梨側に鎮座する浅間神社で、元々は諏訪神社であったとか。

こちらには7月中旬に参拝したのだが、度肝を抜かれたのは境内一面に鳴り響くヒグラシの大合唱。生まれてこの方、ここまでもの凄いヒグラシの声を聴いたことが無い。夏場の田舎の夕暮れでも、鳴いているのは大抵数匹なのだけれども、この時は何十匹と鳴いていて本当に凄かった。

白山比咩神社(石川県白山市)

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著作権者 Shun Zero氏 / CC BY-SA 4.0

言わずと知れた白山神社の総本社。金沢からかなり山奥へ入った所に鎮座する。僕が参拝した頃はまだ北陸鉄道が加賀一の宮まで伸びていたのだけれども、残念ながら廃止されてしまった。

こちらもまた白山の美しさを感じさせる参道が見事。ただ、同じく山岳信仰で神仏習合から神社へと転換した戸隠神社とは異なり、こちらは仏教的な要素はそこまで感じられなかった気がする。とはいえ、最後に参拝したのが10年以上前なので、記憶が曖昧な部分もあるかもしれないけれども…。

平泉寺白山神社(福井県勝山市)

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著作権者 Namazu-tron氏 / Public domain

こちらも白山神社の総本社とされる神社。平泉寺の名の通り、元々は天台寺院で、やはり明治の神仏判然令により神社となる。ただ、今でも平泉寺の名を冠している所は面白い。あと、白山比咩神社との色々な歴史を紐解くのも面白いのだけれども、それはまた別の話。

境内はこれまた正に神仏習合で、境内の庭園は完全に寺院のそれ。また、参道の苔が見事なので、夏場の雨上がりにでも参れば格別だろう。こちらも最後に参拝したのが10年以上前なので、そろそろまた参拝したいものだ。

殿堂入り:神宮(三重県伊勢市)

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季節と時間を選ばないと大混雑になるので挙げようか迷ったが、やはり神宮は何度でも参りたいので紹介しておく。おすすめは夏場の日の出と共に豊受大神宮(外宮)へ参拝し、すぐに皇大神宮(内宮)へ参拝するコースだ。神宮は正宮内だけでも14の別宮が鎮座するので、これだけでも良い時間になる。おかげ横丁の誘惑はあるだろうけれども、後のお楽しみに取っておこう。これならば、土日であろうと昼間の混雑が嘘のような静けさの中で参拝できる。

ちなみに、正宮外には瀧原宮の他にも別宮が点在しているので、時間が許せばそちらもおすすめ。どこも正宮とは少しずつ違って、でもやはりお伊勢様だなぁと感じられる、素晴らしい社である。

おわりに

こうしてみると、本州の真ん中辺りに集中しているけれども、そもそも神社が機内に多いというのと、僕自身が三重県や滋賀県を主な住処にしていたのでどうしても偏ってしまったのだと思う。

なお、昨今の御朱印ブームで神社はどこも参拝者が増えているので、僕が参拝した時点と今とでは混雑具合が全然違う可能性もあるので、そこはあしからず。まぁ、瀧原宮については自信を持って(持つな)空いていると断言できるので、重ねて推したい。

選挙カーの音量が聴覚過敏の耳に辛い

統一地方選挙ということで、巷では選挙カーが走り、街頭演説が盛んに行われている。ASD由来の聴覚過敏を有する僕にとっては憂鬱な1週間の到来だ。

そんな中、これまた残念な目に遭遇したので記録しておく。

耳元で大音量を流す選挙カー

先に断っておくと、選挙カーに走るなと言うつもりは無い。その点については現時点で合法なので、選挙期間中だけの辛抱だと思うしかない。まぁ、街頭演説と違って選挙公報以上の情報はまず得られないので、法令の方を変えて規制すべきでないかとは思うけれども。

そんなことを悶々と考える日々が続いたある日、いつものように自転車通勤していると、1.5車線の狭い生活道路を選挙カーがこちらへ向かって徐行してくる。思わず耳を塞いだのだけれども、選挙カーはこちらの様子を全く気にも留めずに名前を連呼してくる。こっちは気が動転して、逃げることもできずにただ走り去るのを祈るしか無かった。久々に音に殺されるような感覚を味わった。

聴覚過敏とはいっても、鉄道駅の案内放送程度であれば大丈夫だし、救急車両とかのサイレン音は人の声でないせいか気にならないので、普段はイヤーマフとかの対策は必要無いのだけれども、さすがに1.5車線の路地では避けることもできず、そこに耳元で拡声器を使って叫ばれたら敵わない。通常聴覚の人でも喧しくて辛いのではないかと思う。

人前で拡声器を使うのは罵声とどこまで違うか

今でこそ職場等での罵声はパワハラとして認識されているけれども、それは大きな声が人に恐怖感を植え付けるからであって、人前で拡声器を使うのも音量だけならむしろ罵声を凌駕しているわけで、これは果たして許されるものかと疑問に思う。罵声と違って内容が相手を罵倒するようなものではないとはいえ、耳をつんざくような大音量はむしろ精神的というより物理的に鼓膜に響いてくる。

「人前で拡声器を使ってはならない」みたいなルールを作り出したら、それこそ「人前で放屁してはならない」は?みたいな馬鹿馬鹿しいことになるので、このあたりはモラルの問題になってくるのかもしれないけれども、選挙カーはその候補者に票を入れてほしいから走っているわけで、それがモラルに反する言動によって票を失うとすれば本末転倒なのではと思わずにはいられない。せめて狭い道で人とすれ違う時くらいは静かにしてくれと思うのだけれども、どうしたものだろう。

そもそも公選法違反の選挙カーが多すぎる

そもそもの問題として、件の選挙カーに耳をやられた場所は大学の真裏で、100m以内に別の小学校・中学校も密集しているような所なので、完全に公選法に抵触していると思われる(第百四十条の二)。その時は身を守るのに必死だったので、候補者の名前は確認できなかったけれども、もし確認していたら苦情を出すレベルだと思う。

あと、走行中に演説する選挙カーもよく見掛けるけれども、実際にはこれらも公選法に抵触している可能性がある。第百四十一条の三によれば、停止中は演説可、走行中は不可(ただし名前の連呼を除く)とのことだ。走行中の選挙カーが名前だけひたすら連呼していることが多いのは、そういう法の縛りがあるからだという一方で、その遵守についてはかなりなぁなぁという残念な実態があるようだ…。いやいや、この法律自体どうなんだというツッコミもあるけれども、それはまた別の話。

おわりに

今回の件に関しては、僕はマイノリティーに属するわけで、そこは是非ともリベラルを謳う政党に頑張っていただきたいところなのだけれども、残念ながら選挙カーに関してはどの政党の候補者にも広く活用されている。党として「選挙カーは使いません」と宣言するような既成政党が出てくれば、(政策が重要なのは大前提として)ちょっと気になる存在になるような気もするのだけれども、はてさて。

令和を目前に控えるこのご時世に、いつまでこの選挙カーという昭和の遺産は残り続けるのだろうか…。

はてなブログProにしてみた

4月ということでキリが良いから、はてなブログをProにしてみた。2年契約で。

なんで?

無料版のまま1年余りやってきて、AdSenseの収入が2年契約の課金額を超えたから。これが一番大きい。

勿論、このまま無料版で継続すれば2年間で14,400円が浮くのだけれども、モバイル表示だとはてな側で出している広告が多くて気になるし、キーワードリンクも地味にうるさい。あとはまだ検証していないがAMPによる高速化とかも気になって、どうせブログで得た収入なのだからいいやと、軽い気持ちでProにしてみた。

何か変わるのか?

記事の内容やスタンスは特に変わらないと思う。Proにしたからといってブログを副業にしようとか、数字を意識しようとか、そういうつもりは毛頭無い。多分それをやると、僕の場合は書くのが苦痛になると思う。

好き勝手書いた記事が、結果的にPVを集めて多少の収入に繋がるのは結構なことだけれども、最初から数字を意識すると、そこには記事を書く以外の時間と労力が発生する。その時間があるなら、他の趣味に費やしたい。

そもそも僕が収入を得る上で重視するのは、「如何に楽しく効率的に稼ぐか」という点だ。その結論として、一番の趣味=プログラミングを仕事にしている。僕にとって、プログラミングについてはそれ自体が目的になり得る。一方でブログを書くのは、自分の思いや知見を記録する手段にこそなれ、それ自体が目的とはなり得ない。なので、そこに注力して収益化するのは非効率ということになる。

おわりに

自分の感じたことや知見を思ったままに書いて、2年で元を取ってメリットもあるならばPro契約を続けるし、そうでなければまた無料版に戻す。それくらいのつもりで、今後もゆるく続けていきたいと思う。そして続かなくなったとしても、まぁその時はその時ということで。朝令暮改上等。

今期完走したアニメ達 2019冬

適当に始めた「今期完走したアニメ達」が、まさかの2年目突入である。完全なる自己満足記事ではあるけれども、こういう続き物は後から振り返ってその時々の自分の趣向を知れるので、記録として残していこうと思う。

revisions リヴィジョンズ

revisions.jp

時間跳躍×パニック×ロボットなSFというてんこ盛りな作品。この作品ほど俯瞰して観るのに向いた作品もなかなか無さそう。脇役も含めたキャラクターがそれぞれの思惑で動く様を眺めているのが本当に面白い。欲を言えば2クールでもっと深掘りして欲しかったけれども、テンポ良く楽しめるのでこれも良し。どうでも良いけれども、CV大塚芳忠でサトウでやばい人って、亜人かよ…。あと、続きがありそうな終わり方が凄く気になる。

約束のネバーランド

neverland-anime.com

壮大すぎる鬼ごっこ。物語の面白さではリヴィジョンズと良い勝負をしていたと思う。1クール内での結末は大体読めるけれども、そこに到達するまでの過程がどうなるかという部分を楽しむ話で、パズルを解いていくような面白さがある。あと、内田真礼の少年声は貴重。OPとEDの音響が良ければもっと本編の没入感は高かったと思うので、そこだけ少し惜しかった。既に2期が決定しているので、この先の展開も楽しみだ。

かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~

kaguya.love

ただのラブコメで終わらないことは鈴木雅之がOPという時点でもうね…という感じ。ほぼ生徒会室で繰り広げられる密室アニメだけれども、藤原書記のジョーカーっぷりが秀逸すぎる。これはOPのトランプでもそうなっているので、本当にわかっていらっしゃる。この「わかっている感」というのが最終話でも炸裂して、感動のラストを見事にネタ化されたのには心の中で拍手喝采だった。あと、チカッとチカ千花は中毒性が高くてやばい。

youtu.be

どろろ

妖怪物の時代劇。人間の業の深さが詰まった怪作。こんな物語を半世紀も前に描いた手塚治虫は、やっぱり化け物だとしか思えない。1〜2話完結型だけれども、その度に救われない話が続くので、暗い話に抵抗の無い人向け。間違っても仕事上がりの清涼剤代わりに観てはいけない。あと、原作は未読だけれども、どうも原作よりも更にエグい描写を入れている部分もあるらしく、そういった攻めの姿勢は本編に滲み出ている。2クール目にも期待している。

ブギーポップは笑わない

伝奇にSFが混じった中二(厨二まで行かないと思う)な作品。微妙な古臭さは感じさせるけれども、根っこが面白い作品なのでそんなに気にならない。原作組からの評判は芳しくないらしいけれども、前情報無しに観た限りでは普通に楽しめた。あと、音響監督はたしょう二は伊達ではなく、牛尾憲輔のアンビエントなBGMを見事に作品に融合させている。OPEDの音響も良いので音楽に一体感があって、是非とも良さげなスピーカーで鳴らしたいところ。

賭ケグルイ××

早見沙織の怪演を楽しむための作品。そして顔芸が更にうるさくなっている(褒)。1期以上に「ギャンブルとは…?」な感があるけれども、まぁそれはそれ。毎度繰り広げられるスリリングな対戦は素直に楽しめる。あと、OPのJUNNAは更に歌唱力に磨きが掛かってきている。曲は個人的には前作のla la larksの変態さに惹かれたけれども、白戸さんの方が安定感はあるのでマスを狙うには良さそう。

youtu.be

ドメスティックな彼女

主人公がヘタレてない君のぞ(古い)。まさかの原作既読作品だった。そしてこれがアニメ化できるとは全く思っていなかった。色んな意味で。エロとギャグはかなり抑え目になっているけれども、基本的には原作準拠。かなりドロドロとした三角(あるいはそれ以上の)関係だけれども、主人公がヘタレてないのと、心理描写が精細なのが良い。ただ、尺の都合で大事な場面も含めてバッサバッサ切られているので、唐突感や薄っぺらさが気になるのならば原作は必読。あと、OPの美波がなんかもう、凄い。こういうジャジーな曲はアニソンでは珍しい。

youtu.be

五等分の花嫁

シンカリオンに付きっきりのあやねる声を聴ける貴重な作品。はなざーさんも出ているし。となれば内容がどんなであれ観るしかない。と思っていたら、5つ子設定なので、声色を真似る場面が結構あって、声優好きには嬉しいご褒美だった。内容については…まぁハーレム物ですな。

殿堂入り:新幹線変形ロボ シンカリオン THE ANIMATION

え??今更説明要る???

おわりに

前期は超絶面白い3作品とあとはそこそこという感じだったけれども、今期は大量の粒揃いだった。この1年で最も完走作品数が多い。こうなると、来期は反動で不作になるのではないか心配だけれども、既に予約数の時点で今期の完走作品数とどっこいどっこいなので、すごく心配だ…。

revisions リヴィジョンズ BD-BOX [Blu-ray]

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約束のネバーランド 1(完全生産限定版) [Blu-ray]

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36歳にして運転免許の返上を考える

人生初の青切符を頂戴した。赤信号無視で。

その程度で免許返上なんてメンタル豆腐すぎとか、一時の感情に左右されすぎとか、まぁ青切符1枚だけであればそうなのかもしれない。ただ、僕の場合は切っ掛けが青切符だったというだけで、それまでも今にして思えば運転向いてないなぁと感じる瞬間があった。そうした過去のことや将来のことを含め、考えを整理しておこうと思う。

やらかし内容

東京台場のパレットタウンを出て、お台場海浜公園へ向かおうとしていたのだが、湾岸道路の側道へ入らないといけない所を本線に入ってしまい、大井JCTの方まで直進する羽目になってしまった。ナビに側道へ入れと言われていたけれども、湾岸道路に入った時点で側道なのだと勘違いしていたのが良くなかった。

とにかく台場へ戻らねばと思いつつ転回しようとするも、逆方向が工事中で入れなくなっていて、完全に迷ってしまった。仕方なくレインボーブリッジの方へ向かおうかと信号を左折する。この時、右手先頭に白バイが停まっているのを完璧に視認していた。

左折すると今度は側道からの合流があって、道がわけわからないことになっている。そして目の前に連続する2つの赤信号。完全に混乱してしまい、よくわからぬまま徐行していたら、どうやら奥の方の停止線だったらしく、あえなく御用に。

ちなみに、反則金の支払い云々の件は、その時は頭が真っ白になっていたので、気付いた時には担当警察官の言われるがままに署名して、青切符と9,000円の払込用紙が手渡されていた。まぁ、今回はいずれにせよ申し開きようのない事案だとは思うけれども。

拙いと考えた理由

今回は信号無視だったけれども、自覚のある違反であれば、それはそれで駄目ではありながらも、まだ精神的ダメージは大きくなかったと思う。違反した事実を認めて、同じ過ちを繰り返さなければ良いのだから。実際、僕は1度だけ、10年以上前にスピード違反で赤切符を頂戴している。この時は完全に自業自得だったのだけれども、反省はしても免許を手放すとかは考えもしなかった。

ただ、今回は白バイを視認していた上に、全くの無自覚に信号無視をしている。つまり、僕の判断能力に問題が生じていたということで、自分の意思で改善できるものではない。自動車の運転手は、一時でも判断能力が鈍ることがあれば、人の死と隣り合わせとなってしまう。今回は偶々信号無視だけで済んだけれども、一歩間違えれば人様を轢いていた可能性だってあったわけだ。

都市部の道路が複雑で、全ての標識や信号、周囲の車や歩行者、自転車等に注意して走行するのが大変というのは、確かにあるかもしれない。ただ、だからといって多少のうっかりを運が悪かったとか、仕方ないとか、水に流すのは違うと思う。都市部に限らず、自動車を運転していると、子供の飛び出しや前方車両の急ブレーキ等、咄嗟の判断を求められる時がしばしばある。こうした時に、うっかり轢いてしまったとか、うっかり追突してしまったでは許されないのである。

今までの運転を振り返る

翻って、自分の今までの運転を振り返ってみると、平時に強く、有事に極端に弱いという自己評価になる。

田舎育ちで、通勤とかの普段使いでも自動車に乗っていた時期がそこそこ長いので、普段の運転に関しては上手いと言われることが多い。峠道や狭隘な道も苦手ではない。ただ、ややこしい交差点や突発事象には滅法弱い。今までにも交差点で混乱して一方通行を逆走しかけたりとか、前方車両の急ブレーキに気付くのが遅れてあわや追突とか、よくよく思い出せば色々とやらかしている。事故を起こしたことが無いのは単に運が良かっただけかもしれない。

そんなにやらかしているのなら気付けよと思うかもしれないが、人間というのは残念な生き物で、いざ実害が降りかかって来ないと自身の行いを顧みない部分がある。そういった意味では、交通違反のパトロールをしている警察官諸氏には頭が下がる思いだ。僕があの時青切符を貰っていなければ、いつか大事故を起こして誰かの一生を棒に振っていたのかもしれないのだから。

そう考えると、これから更に歳を重ねるに従って判断力や瞬発力が落ちることがあっても上がることはそうそう無いだろうから、今のうちに免許を返上しようという気にもなる。

ASDから来る問題も

僕特有の問題として、ASDの影響により全くの運動音痴だということもある。中学時代など、通知表の成績が他はオール5なのに、体育だけ2だったこともあるくらいだ。逆に体育で3より上を取ったことが無い。他の科目と同様に真面目に受けていたのに。

実際、野球やサッカーでは全くボールに反応できなかったし、逆上がりや登り棒もできなかった。ただ手をこまねいていたわけではなく、水泳教室に通ったり、父親とキャッチボールしたりという訓練も重ねたけれども、結局人並みにすらに体を動かすことはできなかった。

運転免許も、MTは無理だと思ったので最初からAT限定で取得した。それでも一応適性検査を通っている以上は問題なかったということだけれども、それから既に20年近く経過しているし、今の適性がどうかは怪しい。そもそも、教習所のカリキュラムや試験ってザルすぎないか…?とも正直思う。

よくよく思い返すと、教習所時代から僕は鈍くさいことを指摘されてきたような気がする。学科は難なく通るし、教習所の練習コースであれば徐行なので余裕なのだけれども、公道に出ると途端に教官がソワソワし始める。多分、人よりも反応が鈍かったのだろうなと、今になって思う。

それでもASDの特性として、同じ場面に遭遇した時は学習して強くなっているので、何度も同じ道を走ってきた結果、試験では通るようになっていたのだ。

ただ、これまたASDの特性として、自分の想定パターンに存在しない場面に出くわすと、途端に混乱してしまう。今回は正にそれで、左折直後の側道からの合流と連続信号で、一気に大量の新着情報が入ってきて、脳内アラート大合唱状態になったのだ。こういうの、適性検査とかで引っ掛けられないのかな…。

適性なくして免許なし

ところで、僕は常々、適性の衰えた高齢者からは運転免許を剥奪すべきだと考えていた。その理由は勿論、彼らによって事故の危険性が高まっているからだ。

これは今すぐやるべきという話ではなく、原則論だ。原発に関する議論で、将来的に全廃すべきではあるが、現状の国民生活を破壊してまですぐに全廃するのは拙速だというのと同じ話である。いきなり高齢者から免許を取り上げたら、交通機関の発達していない地域はどうなるのだという問題が、当然に湧き上がってくるはずだ。そうした諸問題の解決が必要なことには異論ない。

閑話休題。適性の衰えた高齢者から運転免許を剥奪すべきだとして、問題となるのは年齢ではなくて、むしろ適性の方だ。適性があれば高齢者でも(定期的な検査は必要だろうが)乗れば良いし、適性に問題があるのならば、若かろうと容赦なくふるいに掛けるというのが、自然かつ公平だと思う。

その点、今の運転免許制度は危険だと思っている。一度免許を取得すれば、違反しようが、免停にでもならない限りは講習だけで更新されていく。免停になるというのは一発で相当の違反をしたか、常習的な小さな違反の積み重ねによるものなので、僕のようなうっかりパターンは引っ掛かりにくい。運転頻度が少なければ尚更だ。ある意味で最も危険な層が野放しにされていると言えなくも無い。

そう考えると、免許の更新時に毎回とまでは言わずとも、若い内からも3回に1回くらいは更新時に適性検査を実施した方が良いのではないかと思えてくる。そして、僕自身に関してはもはや自分で自分の運転適性が信用ならなくなっているので、先ず隗より始めよという意味でも、運転免許を返上するのが筋だという考えに至った。

運転免許を返上するメリットとデメリット

実際に運転免許を返上するとして、生活上どういった変化が起こるかも考えておきたい。

運転免許を返上するメリットは、他人を殺傷する可能性を格段に減らせること、これに尽きると思う。車は銃社会でない日本において、一般人が持ちうる最凶の武器であろう。

一方で、デメリットは多い。

まず、免許証を身分証として使えなくなるのは、今であれば写真付きのマイナンバーカードで代用できるのでそこまで不便ではなくなったかもしれないけれども、何だかんだで今の日本では「身分証イコール免許証」という意識は根強く、その他の身分証では一手間増える場合もある。

また、住む場所が制限される。公共交通機関のある程度発達した地域でないと、車無しでは生きていくのが難しいということは、田舎生まれ田舎育ちの人間としてよくよく理解しているつもりだ。免許を返上した時点で、住む場所は都市部にほぼ限定される。

あと、僕の場合は社寺巡礼が趣味なので、交通の不便な社寺へ参るのが難しくなる。これは正直痛い。まぁ諦めてタクシーを使えということか。幸い、鉄道はこちらも趣味にしているので、途中まで鉄道で向かうのはむしろ楽しそうだと、前向きに考えるしかない。あとは、早いところ自動運転が実用化されることを祈りたい。

おわりに

僕の運転免許は今年末で更新を迎える。その頃には今よりもフラットに是非を考えられるだろうから、丁度良い。身分証として持ち続けるみたいな中途半端な真似はしたくないので、そのまま失効させるか、自主返納して運転経歴証明書を取得するか(コメント参照)、適性を見極めた上で更新するかを改めて考えようと思う。ただ、少なくとも今の気持ちとしては、もう自動車は運転しようとは思わない。いつか大事故を起こすのが、怖い。

KINEZOは映画館の係員でもパスワードを覗ける

KINEZOといえば、映画のチケット予約サービスだけれども、セキュリティー界隈では「数字4桁のログインパスワード」でお馴染みの有名所でもある。平成も終わりに差し掛かっているのにこれを貫いていることについては何と申せば良いのやら…。そんなKINEZOだが、今回は新宿バルト9で更なる深淵を覗いてしまったので、ここに書き記しておく。

暗証番号代わりのログインパスワード

昨日映画を観に行った所、生憎スマートフォンの調子が悪くてネットに繋がらなかったので、チケット発行用の予約番号は確認できたが、QRコードの確認ができなかった。そこで、予約番号からチケットを発券しようとした。

すると、求められたのはKINEZOのログインパスワード。

おいおい、ログインパスワードが暗証番号代わりかよ…。

と、その時点でセキュリティー的にアウトだろうとは思いつつも、仕方ないので入力する。が、どうにも通らない。暗証番号代わりに使われるなんて全く想定していなかったので、普段の暗証番号とは別の番号を登録したらしい。

まぁ、落ち着いて考えたらパスワードマネージャーには登録されていたので、それを確認すれば良かったのだけれども、エラーが出まくったのに焦ってしまい、とりあえず受付の係員に人力で発券してもらうことにした。

人力発見の方法がまさかの…

受付の係員に事情を話して予約番号を伝えた所、慣れた様子で画面を操作し始めたので、まぁその場でサクッと発見されるだろうと安堵した。

ところがである。その後渡されたのは4桁の番号を書き記した紙片。

そして、横の発券機で予約番号とその番号を入力してくれと言うのである。

僕はその場では焦っていたので、余り深く考えずに言われた手順でチケットを発券し、頭を空っぽにして「翔んで埼玉」を観てきたのだが、帰宅して財布からポロッと落ちたその紙片を拾って血の気が引いた。

え…受付の係員がウェブサービスのログインパスワードを覗けるってこと…???

そして、恐る恐る僕の登録していたパスワードをパスワードマネージャーから確認すると、その紙片の数字と見事に一致していた…ホラーである…。

KINEZOユーザーは今すぐパスワードを見直そう

言うまでもなく、この状況からKINEZOのパスワードが平文もしくは可逆暗号で管理されていることは明らかだ。しかも、そのパスワードはあろうことか、現場の係員でも容易に覗けるようになっているのだ。これは大変なことだと思うのだが、僕が動転していておかしくなっているだけなのだろうか…。

唯一の救いは、僕がパスワードマネージャーを使うタイプの人間で、4桁の数字のパスワードを「パスワード」と認識して登録していたため、「暗証番号」として登録している他のサービスとは似ても似つかぬメチャクチャな番号になっていたことだった。ただ、ユーザーの中には他のサービスの暗証番号と関連性のあるような数字を登録している人もいるのではないだろうか。あるいは、銀行口座の暗証番号と被ってでもいたら、一大事だと思うのだが…。

何にせよ、KINEZOの登録ユーザーは今すぐパスワードを確認し、多少なりとも安全な(とはいっても所詮4桁の数字だが…)ものにしておくべきだろう。あと、もしもKINEZOと同じ暗証番号を他のサービスでも使っていた場合は、そちらも変更しておいた方が安全だ。

おわりに

本当はKINEZOの運営元にこの件を確認しようと思っていたのだが、なんとメールの問い合わせは受け付けておらず、電話の受付時間も終わっていた。

そもそも、今まで4桁数字のパスワードも改善されてこなかったわけで、僕のような一介のユーザーが問い合わせた所で暖簾に腕押しのような気もする。それよりはユーザー側に自衛を促した方が合理的かもしれない。そんなわけで、一連の経緯を覚えている内に書き記しておくことにした。

現場からは以上です。

https://gifmagazine.net/users/75902/profilegifmagazine.net

経過報告1

翌日朝一でKINEZOの問い合わせ先に電話してみた。ただ、繋がったのは劇場(バルト9)の方で、セキュリティーに関して把握している方は居なかった。ただ、KINEZOのパスワードを入力できない場合に劇場側で調べて渡すという、正に僕のようなパターンの運用を行っているのは事実で間違いないとのことだった。それについて、セキュリティー上の問題を認識したのならば、今すぐにでも運用を見直すべきではないかと尋ねたが、劇場の一存では運用を変更することはできないというのが現状の公式見解であるとのことだった。

そこで、ウェブサービスを取り扱う部署への案内を希望した所、KINEZOはティ・ジョイという会社が開発しているということで、そちらの担当部署を案内していただいた。今は担当者不在ということで、折り返しの電話待ちである。ひとまず、劇場には注意喚起のための報告を入れたから最低限の義理は果たしたぞ…。

経過報告2

その後暫くして、ティ・ジョイの担当者から電話が掛かってきた。要点は以下の通りだ。

  • 数字4桁のパスワード兼暗証番号については、数多くの問い合わせを受けている。
  • ウェブサービス用には英数記号のパスワードを、発券用には別の認証方法を採用する方向での改修を検討中である。
  • システム改修のリリースがいつになるかは答えられない。
  • 現状は運用を見直すことは検討していない。

こちらからは、最低でも利用者に対し、注意喚起や係員によるパスワード伝達への同意を求める等の対策を行うべきではと申し伝えた(その運用もアウトだけど本当に最低限ということで)。ネットへの拡散については、せめて改修の目処が立っているのならば取り下げようかとも思ったけれども、現状は「検討中」とのことなので、是非も無し。

最後にユーザー側でできることとしては、銀行口座やクレジットカード等、他サービスの暗証番号とは絶対に分けることをまずは徹底しておこう。あとは、チケットを予約したらすぐに発券用QRコードを取得しておくと良い。これは、できるだけ予約番号とパスワードによるチケット発券を避けるためだ。

なんとも対症療法的ではあるが、自分の情報は自分で守っていこう。